まあ、今のようなことは、この中に出てきます一つ二つのエピソードに過ぎません。しかしながら、なんて言うんでしょうか、単なる科学者としてというよりも、人間として、そのまああるべき姿をね、とても大きな原型として、非常に深く入ってきた。まあそういう人ではあります。

そうですね、他にもとても面白いところがあったんです。なるほどと思うところなんですけどね、これはドイツとイギリス的な態度について、自分の先生のニールス=ボーアという、すばらしい物理学者と話したときのことなんですけれど、そのニールス=ボーアっていう人はね、デンマークの人なんです。そんなには大きな国の人じゃないんですけれども、なるほどと思ったことがありました。

これはニールス=ボーアの言葉です。「お分かりのように、ここでも私はイギリスの姿勢の方がプロシア(プロシアと言うのは昔のドイツです)のそれよりも数段優れていることをはっきりと感じます。イギリスでは、うまく負かされることは最高の美徳に属していることです。プロシアの場合には、負けることは恥であります。彼等の場合には、まず第一に敗者に対して、寛大であるような勝者を尊びます。そのことははなはだ結構なことです。しかしイギリスでは、勝者に対して毅然とした敗者、つまり敗北を認め、いかなる不平を持たないような敗者を尊びます。このことはおそらく、勝者が寛大であることよりも、もっとずっと難しいことでしょう。この姿勢で耐え抜いた敗者は、そのことによって既にほとんど勝者の位置まで立ち上がっているのです」という、こういうことなんですね。

つまり、いわゆる敗者に対して、負けた人に対して寛大であるということ、もちろんこれは大変結構なことではあります。でも、割とまあ普通のことでもあります。もう勝負はついていて、だから割と敗者に対しては寛大姿勢になっている。割とこれは格好いいことでもあるし、そういうふうな場所に誰でも割と行きたいようなことなんだけれども、でもイギリスの場合はね、勝者に対して毅然としている。悪びれない。毅然としている。そういうふうな敗者。敗者に対して寛大な勝者っていうのはね、まあいいんですけれども、それは別に大して困難なことではなくて、ほとんど何の葛藤もない訳です。

けれども、負けた時にはね、たくさん言い訳したいこともあるでしょうし、負けるにはいろんな理由がある。自分が予想しなかったいろんなことがたくさんあるに違いない。だけども、そういったことを全部踏まえた上で、そして不平を言わない。言い訳をしない。毅然としている。自分のしたことに決然としている。そしてね、勝者に対して悪びれない。そして卑屈でもない。卑屈さの裏返しのごう慢さでもない。そのような態度っていうものはね、非常に磨き抜かれているものであって、ほとんど勝者のとこまで達しているというよりもむしろ、実際にはそれはもう既に勝者であって、いわゆる勝者を遥かに超えたような勝者になる。本当は。

まあ、こういう下りにも非常に惹かれた訳です。科学者っていうものは、基本的に、まあ科学者というか科学・哲学っていうものはね、基本的にこのような方向性を持っているということ。そうですね、この本を読んで以来、ずっと自分の中 に、方向性として刻み込まれてきた。まあそういうことなんです。まあ今度この本について解説する時には、今のようなところは多分あまりご紹介できないかなと思いますけどね。今度は科学についてもう少しいろんな話をするので。ですから若干エピソード的なね、お話をいたしました。

またもうひとつですね、とても感銘を受けた言葉があります。トインビーという歴史家がいますよね。20世紀最大の歴史家というふうに言われた人ですけれど。彼のね、「歴史の教訓」という本があります。その中に「勇気について」っていう下りがあります。そこに、「決断すべき時に決断できない、決断しなければならない時に決断できないのは、もちろん勇気の欠如である。しかし、決断してはならない時に、まだ決断できないのに決断してしまうということも、等しく勇気の欠如である。」とあります。

つまりね、まだ決断してはいけない、決断できるような状態ではない、そういう宙ぶらりんの状況にいることが耐えられない訳ですね。もう自分の状態に耐えられないから、無理矢理にでも決断しちゃう。心が弱いから決断しちゃう訳ですね。要するに、決断するってことは一見格好よさそうだけれども、なぜ決断したのかって言うこと。その行動というものを見ていきますと、決断する、もしくは決断しちゃいけない時っていうのはもちろんたくさんある訳です。何でも時期って言うものがあります。時があります。

これはもうごく本当当たり前のことで、たとえば料理を考えればすぐ分かりますよね。たとえば卵を焼くとしますね。フライパンに卵をのせます。で、時がありますね。もちろん時があります。卵をいつ引っくり返すのか、いつ上げるのか。けれど、まだやっちゃいけない時にそれを触ってしまうとしたらどうでしょう。そのままでは何か居てもたってもいられないような、何かがとても気になってしまう。これは料理のことだけではなくってどんなことでも、とにかく自分が宙ぶらりんでいることに耐えられない、ただそれだけの理由で決断してしまうということはいろいろたくさんあります。それは勇気があるからするんじゃなくて、勇気がないからするんです。もちろん決断すべき時に決断できない、そういうふうな勇気のなさもたくさんある訳です。決断しなきゃいけない時に決断ができないっていうことは、通常すぐにこれは勇気がないんだなというふうに結びつけやすいですよね。一方で、決断ということは何となく勇気があるような、そんな感じが自分の中にして、決断は勇気のなさからくることもあるんだ、というふうには普通考え及びません。

だけれど、決断しちゃいけないときに決断してしまうっていうのは、実は勇気がないから、その心が弱いから、そのままじっと耐えられないから起こることなんです。まだ色がちゃんとついていなくて、決断すべきところまできていない時に、じっと自分の中で耐えて、その時をじっと待ち、心を強くしてそれを見極めるということができない。だからもうこのままじゃ決めないともうやってられないというね、ただそれだけで決めてしまうっていうことが非常に多い訳です。まあこの言葉も、先ほどと同じようにとても大きく私の中に残っています。

 

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