森羅万象セミナー

第1回 §15

他にございますか。

Q:いや面白いですね。

そうですか(笑)。

Q:あのですね、言葉には一つの以心伝心の部分があるって言われましたでしょう。人間が生まれてきて、初め言葉は使われなかったのかなと思ったんですけど。

これも非常に根源的な問題になる訳なんですね。「『言葉』とは何か」っていうことにも、いろんなレベルがあります。「言葉」っていうときの「言葉」とはいったい何か。まあ、通常言っているような意味での「言葉」もあります。もちろんね。また同時に、例えばね、聖書に「ヨハネの福音書」というのがあって、その最初には「初めに言葉があった」とあります。その時の「言葉」っていうのはいったい何を指しているのかっていうことなんですね。で、その時の「言葉」って言うのはね、これはエネルギーを指しております。宇宙の最初にはエネルギーがあった。そして、そのエネルギーっていうのは「言葉」としか言いようのない、あるエネルギー、まあ物理にいういわゆる「波動」ということになりますね。

Q:「オーラ」というふうに。

ええ、そういうふうに言ってもいいです。「光」と言ってもいい。

またその「最初に言葉があった」っていう時の「言葉」っていうのは、この宇宙というものが生まれなければならない、その理由と申しますか、その然理と申しますか。その然事情と申しますか…そうですね、そういうものです。そういうふうな「言葉」もある。いろんな意味での、いろんなレベルでの言葉というものがあります。

実はね、「ホメオパシーのレメディというのは『言葉』である」っていうふうなことを、よく申し上げるんです。つまりエネルギーであるということですね。そうですね、先ほどからお話しておりますように、この同じ「言葉」っていうこの文字もいろんなものを指しうる訳で、ピンからキリまでいろんなレベルがあるんですね。ですから一口にはなかなか言えないんですけれども、我々は自分が言い表そうとしている何かにちょうどあてはまるような「言葉」を何らか選んで、言いたいことを言葉に託している訳ですね。まあいろんな意味がある。

先ほどのご質問で、すみません、言葉についてなんとおっしゃいましたでしょうか。

Q:言葉があって、あるからこそその以心伝心の部分が…。

ええ、そして「最初に言葉があったんでしょうか」っていうふうに言われましたかね。何とおっしゃいました?

Q:私としては、「言葉」が「エネルギー」っていう感じで受け取ってないんです。

ええ。えーと、通常で言う意味の「言葉」ですね。

Q:「言葉」より「以心伝心」の方が、どっちかっていうと「エネルギー」ですね。だから、どっちが先にあったのかなと考えた場合に、「以心伝心」の方が先じゃなかったのかなと思って、だから「言葉」があってその裏と言うか…それに対する「以心伝心」があるんでしょうか、ということです。

思い出しました。ですから先ほど申し上げたようにね、「言葉」という言葉にどのような意味を持たせるのか、どういうふうなレベルで話をするかによって、何を指しているかがすごく変わってくるので、その都度これはどういう意味において言っているということを了解しあわないと、言葉同士が勝手に混同してしまうようなことが起こってしまう訳です。そうですね、さっきまさにおっしゃったように、いわゆる通常で言う「言葉」というのは通常の意味であって、そして「以心伝心」というのは「エネルギー」であると。もちろん、そういうふうに言えると思います。

で、先ほどね、「初めに言葉ありき」って言った場合の「言葉」というのは「エネルギー」なんですよ、って申し上げたのは、これは宇宙開闢(かいびゃく)の瞬間のものであって、それはまさにこれらがね、一体になったような何かですから、だから分かれていない訳ですね。だからこれはエネルギーだ、というふうに申し上げたんです。

Q:イコール連続性なんですか。

そうですね。連続しているっていうことは完全なる存在であるっていうことでもあります。そうですね。

Q:例えばですね、うちには本当に若い子がたくさんおりましてね、いろいろミーティングの中で話をするんですけれど、非合理的な話のやり方からうちは結構進んでいくんですね。すると、いろいろ考えが出てきます。それを合理数っていう形にしないと会社が動かないことがありますよね、そういう時に私は集合エネルギーっていうのをよく思うんですよ。例えば、うちはまあ少なくて、二十何人くらいしかいなんですけれど、その中の何%かを、エネルギー的に集める。同じ思いに乗せるというか、考えを鍛えていく。そうすると集合エネルギーが集まりまして、固まるんですね。まとまるというか。すると、合理的に動けるようになるというか。で、それの繰り返しをやっているんですけど。昔いわれた「百匹目の猿」ですね、あれと同じように、何か一人一人がまとまって、ある程度の数になると動き出すっていうのも、日常生活の中で結構感じていて、その集合エネルギー、まあ「初めに言葉あり」っていう言葉の中からエネルギーっていう言葉を連想すると、今言われたように、昔々ですね、このエネルギー的に集めて、合理的な動きになって一つになっていくということがあったんじゃないかな、っていうふうに感じたんですけれど。ちょっとすいません、表現があんまり上手じゃなくて。

ええ、そうですね、とてもいいと思うんです。実はね、先ほどは有理数・無理数っていうこの二つの軸だけで話をしていました。そして今ね、どんどん話が進んできまして、この話とももちろん半分以上は関係がありながらも、だんだんともう少し先の話とも関係してきているんです。まあ前回ちょっとだけお話ししましたけれども、この二つ、有理数と無理数、これらをあわせて「実数」というんです。いわゆる実の数ですね。要するこれは「この世」の数。これに対してね、「虚数」が…これは「あの世」の数なんですが…えーとですね、最終的には実はね、エネルギーっていうのは、最終的にはこのことを指すんです。先ほどね、有理数と無理数との関係性の中で、「それはちょうど無理数みたいなものです」っていうような言い方をしまして、まさにそれはその通りなんですが、それで話は終わりではないんですね。

「この世」「あの世」って、今突然「あの世」って出てくるとね、「あの世」って何か死んだ後の、ちょっと別の世界っていうふうな感じがするかもしれません。でも実はね、まあまだその話をしてないので、分かりにくいと思いますけど、「あの世」っていうのはね、いわゆる「あの世」じゃないんですよ。実は「この世」にあるんです。というかね、「この世」と「あの世」というのは別々のものではなくて、ちょうど実数と虚数のようにね、ちょうどこれとよく似ているんですが、このいわゆる実の世界というのは、いわゆるその虚の世界というか、エネルギーの世界の表現に過ぎない訳なんですね。表現なんです。

ですから、先ほど集合的無意識の話もちょっとされましたけれども、それはいろんなふうに言うことができまして、「あの世」「この世」っていうふうに言うこともできます。また同時に、そうですね…例えば議論が煮詰まってきて、だんだんいろんなことが成立してきますとね、無秩序に並んだような訳の分からない状態から、だんだんこう、いろんなことが立ち上がってきます。そしてね、言葉というものが単なるこういうふうな言葉ではなくて、これが合わさったような言葉になってくる。先ほどね、いろいろ議論が煮詰まってくると、集合的無意識みたいなものが、何かだんだんある一つの言葉とかにまとまってくるとおっしゃいましたよね。その時には、その言葉っていうのはね、単にこういうふうな言葉ではなくて、これがちょうど融合したような、切断的なデジタルな単なる言葉ではなくて、その以心伝心的なところも含んでいる、単なる知的なことではなくて情的なものも全部ちゃんと含んでいるような言葉として、だんだん 立ち上がってくる訳なんですね。

だからその時には、単なるこういうふうな対立的なものではなくて、また違う段階に行く訳なんですけれどね。また日本の言葉というものの中には、例えば高いとか低いというふうな、一方的なニュアンスの方向性の言葉ではなくて、いろんなニュアンスを含んでいるような言葉というのが結構ある訳なんです。例えば、田中康夫さんが使っていた「しなやかな力」とかね。「しなやか」っていう時には、単なる強いとか弱いっていうことじゃないですよね。強いし、また柔らかい。言葉的には一見、二つの相反するような、でもそれが反する訳ではなくて、それこそ相補的なね、そういういろんなニュアンスを持っているような言葉っていうものがあります。「たおやかな」とかね。彼は割とそういうふうな、一面的ではない言葉を使っていますよね。

だから、まず有理数・無理数のお話をして、皆さんからいろんなお話をいただくうちに、自然にね、この世界を超えるような次の段階のお話に移ってきているんです。

それではこの辺でちょっと休憩いたしましょう。

続く

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