この世の物質の究極的な単位、まあ原子ですね(本当の究極じゃないんですけれども)、非常に微細なこの原子の振る舞いを表現した、基本的な方程式があります。この方程式を「シュレディンガー方程式」と言います。

この方程式を発見したシュレディンガーという人はね、量子力学で基本的な非常に大きな貢献をした人なんですけれども、実は先ほどのハイゼンベルグと非常に縁がありましてね。ハイゼンベルグという人は、原子というものを粒子的に捉えました。そしてこのシュレディンガーという人は波動的に捉えました。

そしてね、どちらも別々に、量子力学の大きな法則を発見したんです。その時、ハイゼンベルグは行列(数学で行列ってありますよね)、エネルギーのマトリックスというかエネルギーの行列を使って、原子を粒子的に捉えた法則を発見しました。それに対して、シュレディンガーという人は、原子を波動的に捉えて、昔からの微分方程式を使って、まあ非常に古典的な方法で説明しました。

これらは全く違うように見えるんですけれども、実は数学的には全く同じことを言っているということが、その後に分かったんですけれどね。とにかくシュレディンガーが、このシュレディンガー方程式というものを発見したわけです。この方程式は、原子の中でも最も小さな原子である、水素原子の振る舞いを表しているものです。そしてこれは当然ながら、水素原子というこの世に実在する物質の方程式なんです。ところが、この方程式なんですけれども、とてつもない物がこの中に入り込んでいるんですね。とてつもない。何かって言うと、これです。「i」です。これは虚数です。しかもね、方程式の先頭に生の形でね。

方程式の他の箇所の意味はね、皆さんあまりご存じなくていいです。関数だったり定数だったりするんですが、要はね、ここに虚数がいきなり最も根本的なものとして生の形で入り込んでいるっていうことですね。これが何を意味するのかっていうと、「この世」の物質、「この世」の究極的な単位にある原子の振る舞いを正しく表そうとすると、「あの世」を持ってこないと説明できないということです。「あの世」を持ってこないと「この世」は説明できない。しかもそれはね、何かの馬鹿げた空想話でも、ほら話でも何でもなくて、「この世」に起こっている物質の振る舞いを研究する学問、物理学の中で発見されているんですね。物理学っていうのは「あの世」を考えるものじゃないんです。「この世」で何が起こっているのか、「この世」の物質に何が起こっているのかっていうことを追求する学問です。それを正しく記述しようとすると、「あの世」を持ってこないと絶対に正しく記述できないということ、これは極めて決定的な方程式なんです。

Q:これはポイントの一つですね。

そうですね。極めて決定的なことなんです。「この世」は「あの世」を持ってこないと説明できない。普通は「この世」のことは「この世」のことからだけで説明したいわけですよね、「この世」的に解決したい。けれども、「この世」のことを「この世」的に解決したいと思っても、いきなり物語が「あの世」から始まる訳です。考えてみて下さい。とてもね、不思議ですよ。この現象、これはなぜ起こっているんでしょうか。「実は『あの世』ではね」っていう所から物語が始まる。全てに対して「あの世」から話が始まる、というか、そこからしか始まってくれない訳なんです。いちいち「『あの世』ではね…」から始まるんです。全部について。

「このコップはどうして今、ここにこういうふうにあるんですか」「実は『あの世』では…」(笑)。ね、おかしいですよね。本当にいちいち全部そうなんです。じゃあこの時、「あの世」って一体何を指しているのかっていうことなんです。我々は何となく「あの世」という時に、死んだ後に行く世界、というふうに考えている。別にそれは間違いではないんです。間違いではない。けれども「あの世」というのは、死んで初めて行くんでは全然ないんです。全然そうではない。実はね、我々の存在自体は、ずーっと「あの世」にもいるということなんです。実は今この瞬間にも、ね。

そしてね、「この世」というのは「あの世」の物質的な表現であるっていうことなんです。「この世」というのは「あの世」の…もう少し言いますとね、「あの世」っていうのは、実はエネルギーの世界のことなんです。エネルギーの表現、物質的表現が「この世」なんです。我々は今何か考えています。我々にはいろんなエネルギーがあります。それは実は「あの世」なんです、本当は。「あの世」と言う時に、さっきから何度も言うように、我々は死んでから行く世界のように、何となくそういうふうに言葉を使っているので、どうしてもそういうニュアンスで考えがちなんですけどね、「あの世」っていうのは、本当はそれだけじゃないんです。

例えば、死ぬとその後「あの世」に行くと言いますね。死ぬということは、物質的表現をやめるということなんです。物質的表現をやめるので「あの世」だけになる、っていうことなんです。生きているということは、ずっと「あの世」が「この世」的に表現をされ続けていること、つまり、エネルギーが表現をされ続けているということなんです。「この世」的に表現をすることが許されている状態、それが生きているということなんです。

Q:あの、そうすると、生きている間は「あの世」と「この世」を両方両立して行ける、死んだら「あの世」にしかいられない、ということでしょうか。

まあ生きられないというのは、そこでは存在できないというか、「この世」的な表現をすることはできない。純粋なエネルギーの状態であるということですね。

いきなりそう言うとちょっと戸惑う方もいらっしゃるかも知れません。なぜか今の言葉が、違うふうに、ちょっと平べったく解釈すると、人によっては「あなたは生きながら死んでます」というふうに言われたような感じがする人がいるかも知れません。

実はね、思考する、考えるっていうことは、実は「あの世」のことなんです、本当は。我々はいつも考えていますからね、自然と「この世」的に考えている、というふうに思う訳です。考えていることは、「この世」の世界のことであるというふうに思っています。だって今、我々はいわゆる「この世」に生きている訳ですから、この中で起こっていることもね、当然「この世」的に起こっているというふうに、思いますよね。しかし実はね、そうではないです。思っていることは、全て実は「あの世」なんです、本当は。

Q:「マトリックス」みたいなものですね。

映画ですか、それは。なるほどそうですか。「マトリックス」。そう言えばね、ホメオパシーのある先生が、「マトリックス」はすばらしい映画で、あれは教材にとてもいいよって言われたことがあったんです。まだ見てないんですけどね。

 

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