森羅万象セミナー

第1回 §6

それからついでに申し上げますと、「オカルト」という言葉ですけれど、「オカルト」という言葉は、いったいどんな意味でしょうか? 「オカルト」と言う言葉を英和辞典で引かれたことはありますか? 多分ないと思います。occultってこういう字を書くんですけど、これは本来の意味は「深遠な」とか「深い」「隠れた」「言葉に表せない」 …実はそういう意味なんです、本当は。しかし現代の語感では、要するに「怪しい」というか、まともではない、とても怪しげで気味が悪い…そういうイメージの言葉になってしまっています。本来は、実はとてもすばらしい意味なんですね。「深遠な」、「深い」、「隠れた」。本当は、「オカルト」という言葉が意味することは、何か気味が悪いっていうことではありません。

人間にはいろんな思考があって、いわゆる合理的思考的に理解できること、つまり、「これはこうだからこうなんだ」ということが理解できる時には、なるほどなるほどそうなんだ、と思う。けれどもいわゆる合理的思考的には理解できない時、原因、理由が分からない時には、まあ怪しいというか、何ともいえずすっきりしない訳です。すっきり行かないものに対しては、非常に疑いの目を持ちやすい訳なんです、我々は。

科学の歴史、医学の歴史にしましてもね、同じことが言えます。例えばですね、いわゆる「非科学的」だと言われている、ある「現象」そのものには、何か「間違っている」「怪しい」点というのはない訳なんです。つまり、科学というものはそもそも、分からないことをひとつひとつね、分かるように変えていく、非常に粘り強い試みなんです。 そうですね。よく出す例でね、産褥熱というのがあります。昔はね、産褥熱で亡くなる方ってとても多かったんです。どうしてかと申しますとね、昔のお医者さんたちは、誰も手を洗わなかったんです。ご存じですか。誰も手を洗わなかった。なぜかって言うと、彼等にとっては手を洗う理由が何もなかったからなんです。なぜ手を洗わなきゃい けないのかっていうね、理由が何もないので、だから手を洗いませんでした。その当時は、いわゆるその細菌という存在は知られておりませんでした。

今から200年近く前に、イギリスのある病院である医者がね、実験をはじめました。病室を二つに分けましてね、一つの病室の前にはちょっとした洗剤と水を置いたんです。もう一つの方はそれまで通りです。そしてね、その洗剤を置いた方の病室に入る前には必ず手を洗わなくてはいけない、そして患者さんを見る、ということを始めたんです。そうしますとね、手を洗う方の部屋で出産した女性たちには、ほとんど産褥熱が起こらなくなったんです。で、もう一つの病室の方では、それまでと全く同じようにたくさんの女性たちが亡くなっていったんです。この時にね、最初、手を洗うことを始めた時に、ものすごく馬鹿にされたんです。いわゆる「オカルト」だって言われたんです。つまり、なぜ手を洗うかというのが全く理解されていなかったので、すごく気味が悪いというか、何の意味もないこと、要するに「オカルト的な」単なる儀式だと思われたわけです。

で、今ね、その話を聞いて、なぜ手を洗うのかが全く分からなかったら、それは単なる儀式というふうに思われるっていうことは、多少にもね、想像することができると思います。むしろ当時、誰も手を洗わなかったって聞くと、最初は多分びっくりされると思うんですけどね。なぜか。その時には我々は、いわゆる合理的思考っていうのを知らず知らずのうちにしている訳ですね。我々はいわゆる知識として、細菌というものがいることを知っていますので、衛生観念というものがあります。ですから、病室に入る前に手を洗わないということが考えられない訳ですよね。手を洗わないということはとても不衛生で、バクテリアその他のね、いろんな病原菌というものが非常に繁殖しやすくて、大変なことになるっていうことが、すぐに頭の中に思い浮かぶんです。けれども、そのバクテリアっていう観念が、もし、ぽっこり抜けたとするとどうでしょうか。我々にバクテリアについての知識がなかったら、さっき言ったように、その「手を洗う」という行為が意味するその脈絡が、全部絶たれる訳ですよね。だから、その「手を洗う」っていうことと、産褥熱で亡くなる方が激減するということの間に、いわゆる合理的な理由というものがなくなる訳なんです。そこがつながらなかったらね、「手を洗う」ということは、とても気味悪い、非合理的な単なる儀式っていうことになってしまう訳なんですね。ですからね、実は我々が単なる儀式というふうに思っている、現在まだ分かっていないことはね、先ほどの例で「細菌」というキーワードが入ってくると皆つながるように、単にまだ間にあるものが分かっていないだけかも知れない。「合理的な」理由は分からないけれども、それをやると大きく結果が違うということがもしあるとするならば、そこにはね、何かあるはずだと思うのが当然です。これが「科学的な」思考である訳ですね。科学的思考。

続く

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