ですから、間違った手段を取るということが結局どういうことであるか、目的は手段を決して正当化しないっていうことは、私にとっては非常に大きなショックだったんです。とても大きなショックでした。私はどちらかっていうと、目的は手段を正当化しうるっていうふうにね、割とそういうふうに思っておりました。

なぜならば、やはりその時のいろんな体制ですとか、いろんな本当にすばらしいことを実現しようとしているんだけど、いろんなハードルがたくさんあります。やはり時には、あまりにも正面からぶち当たって玉砕するんじゃなくて、より現実的でちょっと超法規的な、後から取ってみればそれが結果オーライだったっていうことがね、あるんじゃないか。また歴史の教訓からも、決してその例えば政権を取ったりとか政府を倒したりした人たちが必ずしもまともな方法でやったっていうふうに限らない。その時には、いわゆる反政府的だったり、まあいろんなことをしたりすることも結構あるし、それが本当にすばらしい目的であるならば、その手段が多少荒っぽくても仕方がないのではないかとも思っておりました。

私はその考えについて、全部が全部間違っているというふうに思っている訳ではありません。ただしこの著者が述べたような意味において、間違った手段を取って目的を達しようとする時には、よく考えなければならないことがあると思うんです。それは、絶対に他の方法はあり得ないのか、本当に底の底まで考えた上で、もうどうしてもそれしかあり得ないっていうふうに出てきた手段なのかということです。もしそういうことなら、場合によっては仕方ないのかも知れない。

だけれど、よくみるとほとんどの場合はそれほど真剣に考えているわけじゃなくて、割と早い段階で、安易に、その目的なるものを錦の御旗みたいに押し立ててしまっている。そして実際には、割と簡単に安易な手段を取っているに過ぎないということがほとんどであるということに気がつきます。これをですね、自分に当てはめて、非常に深く教えられたっていう感じがいたしました。ですからこの部分は私にとりまして、非常に大きなことだったんです。

それから、彼はドイツに生まれたドイツ人なんですけれども、ヒトラーが台頭した時でも最後までドイツに留まりました。ヒトラーが台頭して、たくさんの科学者たちはアメリカやいろんな国に行きました。ハイゼンベルグは非常に悩んだんですね。非常に悩みました。たくさんの仲間たちがね、例えばそのもちろんユダヤ系の人たちはね、これはもうドイツにいると殺されてしまうので、随分と早々と逃げました。で、ハイゼンベルグは「白いユダヤ人」というふうに呼ばれて、つまりユダヤ人の仲間たちをとてもかばっていろんなことをしたり、政府に反対したりしたので、「白いユダヤ人」と言われました。なろうと思っていたそのミュンヘン大学の教授にもなれなかったりしたんですけれど、彼は最終的に国外へは逃げずに、ドイツに留まった訳です。

その時の彼の考えは結局こういうことだったんです。歴史の教訓によれば、どの国も、どこかの時点ではね、まあいろんな独裁者…例えばヒトラーのような人とかね、政治的に不安定な状況などに、どこかでぶつかったりする訳ですけれども、まず第一にね、そういうふうな政権ができる度に、その国の国民がね、その国から例えば逃げ出す、逃亡する。これはどう考えてもまず正しくない。

考えるその「格律」…「格律」っていうのは数学の確率ではなくてね、まあこういうふうに書きますけれども、これはカントがね、エマニュエル・カントというすばらしい哲学者が見いだした言葉みたいですけれども、なんというんでしょうか、これは「基準」というふうな意味です。「基準」。自分自身の行動を考える時に、それを自分だけではなく、あらゆる人がどのような状況でもその行動を取りうるのかどうかを考える…単に自分がこうしたいということじゃなくて、自分がこうしようと思う時に、誰でもそのような状況の時には同じことをするのかどうか。それを考えるのが、行動の「格律」を考えるということなんです。先ほどの例に戻れば、自分が気に食わない、自分の考えとは違う、そのような政府ができるたびにね、この国は認められないと言ってよその国に逃げ出すということが、人間の生き方、人間としての行動基準として認められるのかどうかを考えたときに、ハイゼンベルグの場合にはね、やはりそれは認められない、そういうことはできない、という結論になったわけです。

むしろその国で起こることは全て、どのようなことが起こったとしても、自分の生まれ育った国にいて自分のこととして受け止める。そしてね、その次にどうすべきかを、その中にいてちゃんと受け止めて考えるべきである、というふうに、彼は最終的にそのように考えた訳です。ですから先ほど述べましたようにね、ナチスが取っている方法というものは、どのような目的があるにしても、もう考えられないくらい明らかにまずいものであるので、ヒトラーが失敗するということについて、彼は最初の段階から疑いを持っていませんでした。

で、途中もいろんな物語があるんですけれども、彼はあえてドイツに留まりました。そしてどうなったかと申しますと、そのころヒトラーは核兵器の製造を考えておりまして、その責任者にこのハイゼンベルグを任命したんです。ハイゼンベルグは核兵器の開発の責任者になりました。そして、そのニュースは、瞬く間にアメリカやイギリスに広まって、これは大変なことになったということになったんです。ハイゼンベルグっていう人はね、もう若くして非常な天才でしたので、彼がリーダーだったらきっと近いうちに核爆弾ができてしまうのではないか、そういうふうな恐怖が起こったくらいなんです。アインシュタインはそのニュースを耳にしました。で、当時のトルーマン大統領にね、そのドイツの核兵器の危機というものを訴えて、それからアメリカで核兵器を作るようになった訳なんです。

 

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