06年7月開催のセミナー「ホメオパシーの本質と法的環境」の内容をご紹介します。このセミナーでは、薬剤師出身の弁護士で、医薬行政の現場にも深く精通して第一線でご活躍中の小林郁夫弁護士をお招きし、日本ホメオパシー振興会主宰の永松昌泰氏との対談が行われました。日本の現行法におけるホメオパシーの位置づけ、これからのホメオパシー普及の展望について、海外の実例も交えながらのお話です。

現行法におけるレメディーの位置づけ

(永松先生)

先ほど小林先生から、特にレメディーに焦点を絞った形で、薬とはいったいどのように分類されるのかですとか、現在の動きとか、そのあたりを含めてお話を頂きました。今日は、ホメオパシーの本質をゆがめずに、現在ホメオパシーが法律的にどんなような位置にあるのか、この対談の中でもう少し具体的に、一つ一つ詰めていったり、お話をお聞きしたいと思います。

先ほど、ホメオパシーでいわゆる問診的なこと(セッション)をしてレメディーを決定していくということについて、先生の方から位置づけについてはまだもう少し考える余地があると、つまり、お話を聴くということが、ただ単にそのレメディーを決定するためだけなのか、それともプラスアルファのものが、そのお話を聞くということ自体にあるのかどうか、そのあたりをもう少し研究をして、いずれ答えを出したいと、そういうふうな主旨でお話を頂きました。そのあたりにつきましてもここでもう少し突っ込んでお話を聞いてみたいと思います。

まず、薬として認定されるためには四つの要素があると。成分ですとか、形状、効能ですとか、そういうこと四つの用件があるというお話だったと思います。その観点で言いますと、ホメオパシーのレメディーというのは、現行法では、どういう風に位置づけされるものでしょうか?

(小林先生)

そうですね、表示も何もなく単にレメディーがポンと置いてあったら、それは食品として理解していいと思います。ですから、薬事法の法律の適応外になると理解して良いと考えています。

(永松先生)

まず成分ということで言いますと、これはいわゆる乳糖玉以外には検出はまずされないわけですので、その意味においては、成分という観点からは薬の要件には値しないということですね。形状というところではいかがでしょうか?

(小林先生)

形状はですね、さきほど言いましたけれど、食品についてはかなり但し書きがありまして、カプセルとか、あるいは色々認められておりますので、形状はさして問題はないと思います。それから私がレメディーを食品として申しましたのは、レメディーそのもの中に含真されている薬剤の作用というのは、薬事法で言っているような薬の作用とはちょっと違うかな、と思うのです。

薬事法が言っている薬の作用というのは、薬が直接、病気のところ、例えばどこか炎症を起こしている部位に直接薬が働きかける、こういうことだと思います。その結果、その炎症が、例えば喉の痛みとか、そういうものが減少する。それが薬の作用であるというふうに言っていると思っております。

ところがさっき聞いたお話では、そうではなくて、すごい勢いで薄められたレメディーが、その病気の部分に直接作用するのではなくて、言ってみれば何らかの形のエネルギーが、細胞レベルというか、分子レベルというか、そういう話だったなと思いますけれども、私にはちょっと難しい話なんですけれども、少し作用が違うのかな。そういうところも含めて、薬事法で言う薬の作用と言っているものと作用が違うのではないかと思います。

(永松先生)

例えば結果として癌が治ったり、様々な慢性病や神経症が治ったり、感染症が治るということが結果として起こるということとですね。いわゆる効能・効果というふうな関係というのはどういうふうに考えたらよろしいでしょうか?

(小林先生)

病気が結果として治るというのは、なにも薬でなくても沢山起こるのです。健康食品でもぴたりとはまる人は、ガンでも治る人もいらっしゃいます。そういう意味では、健康食品を飲んで治ったからそれが薬だとは言わないですね。結果が良かったから薬だというわけにはならないと思います。

(永松先生)

例えばその時、いったん法律のことを頭の中から外したとして、例えば実際に「このレメディーは、このような病気の方に、病気が結果として良くなることが多いです」と、例えばそういうふうな書き方やそのような進め方はというのは、法律ではどのようになりますでしょうか?

(小林先生)

ええとですね、だいぶ境界線上の話になってきて、解釈としては非常に難しいと思いますけれど、簡単に言うと、一般の人がその表示を見て薬と思うか思わないか。これがひとつのメルクマールになると思うんですよ。だから書き方によって、あるいは言葉の選択によって、だいぶ違ってくると思うんですよね。

厚生労働省の今までの健康食品に対する扱いを見ていると、健康食品を扱う方も、まあ中には「ガンに効く」とかそういうことをはっきり書いてあるものもありますけれど、そこまでいかなくても、「体質を改善する」とかそういう柔らかい言葉であっても、それが書いてあることが特定の病気を指しているような場合、例えばガンという言葉は書いていなくても、読む人によってはガンと読めるとか、あるいは炎症と読めるとか、そのように特定の病気をさしているような、あるいは捕らえ方ができるようなときには、先ほど言ったような、効能・効果を言っているなという風に多分理解すると思っています。

(永松先生)

特定のこの病気が治りますということではなくて、「胃腸の調子が良くなります」とか、「頭がすっきりします」、とか「頭が良くなります」とか、例えばですけれどね、そのようなことはどうでしょうか?

(小林先生)

「胃腸の調子が良くなります」というのは、「悪くなったその胃腸を正常に戻します」というと、これは治療効果ですよね。そうではなくて、「今は別に悪くはないけれど、もっと良くします」というのだったら、これは別に薬ではないですよね。そういう風に考えていったら良いのかなと思います。そうすると読んだ人が、胃腸が悪くなった、例えば食べすぎでも二日酔いでも何でもいいですけれど、「胃腸が悪くなった、だから今はそれを飲もう」というのですと、これは治療として見られる可能性はあると思います。

(永松先生)

例えば「病気が治る」ということと、「健康が増進する」ということはどのような関係になりますでしょうか?

(小林先生)

「病気が治る」ということは、身体のどこかに羅患部位があって、それが治ることですけれども、要するにへこんだ部分が平らになることですよね。「健康が増進される」のは元々へこんだ部分がないですよね。それが更にアップすることですから、それは病気を治すのではなくて体力を増進させるとか向上させるとか、そういう意味だと思いますので、それは全然違います。例えば運動を見ればわかります。運動することによって筋力が増す。別に筋肉が悪くなっているわけではないけれど、筋肉が増すというのはそういうことだと。

(永松先生)

そうですね。そうしますと例えば、「健康状態が増進します」と。その人の病気である・病気でないということに関わらず、いわゆるその人の健康的な状態、健康的な側面、そういう側面での健康状態というものが、その人がどの様な状態であったとしても、「より良くなります」、「健康状態がより増進します」というのはいかがでしょう?

(小林先生)

その程度なら許されるのではないでしょうか。

(永松先生)

今、どうしてこのような細かいことにこだわっているかと申しますと、ホメオパシーは「病気を治す」というのではなくて、生きていくクオリティというものをあげていくということ、「生命の質が上がっていく」というその中に、病気が治るということも結果として起こる。その中にすべて含まれているといつも言っているものですから。「これは病気治しですよ」というふうなことは一切、これは法律的な意味で配慮して言っていないのではなくて、本質的にそういうこととは違うという意味でいつも申し上げているので、その意味で普段申し上げていることが、そのままどういう状態でも法律的にも特に問題なく使えるというふうに理解してよろしいでしょうか。

(小林先生)

いいと思います。

(永松先生)

それから、薬というものですけれども、今日は特に薬の法律的な分類についてお話をお聞きしましたけれども、原理的な意味というか、薬というものは、どういうものを薬というふうに考えれば宜しいのでしょうか?

(小林先生)

薬というのは、薬そのものが病気に直接作用して改善するものであると、考えています。

(永松先生)

以前先生とお話しをした時に、薬というのは本質的には毒であると。毒であるからそれは薬なんだと、そういうふうなお話を以前お聞きしたと思うんですけれど、そういう意味においての薬と毒との関係性という点ではいかがでしょうか?

(小林先生)

一般的に薬というのはすべて毒です。人間の体からすると異物であり、毒ですから、使うにあたっては医師の処方箋がないといけないとか、販売するのに薬剤師でないといけないとか、製造、販売、使用過程においてかなり厳しく扱っています。それは毒の面を言っています。作用の面は、例えばこれは喉の痛みに効きますとか、例えば飲み方によって悪くなる、あるいは量によって悪くなる。例えば2日分、2回分を一度に飲んじゃったとか、量が多いとその毒の作用を起こす。そういうふうに、薬というのは反面毒の作用、言ってみれば人間にとって有効でない作用を持っているから、それについて注意をするという意味で扱いが厳しくなる。

(永松先生)

わかりました。それから、いわゆる効能効果というところですけれども、一般的に通常の健康食品、そういったものは効能効果をうたってはならないということになっていると思いますけれども、効能効果をうたったことになるとそれはもう薬であると。その時の効能効果。また多少微妙なことになりますが、具体的に、例えばこれは効能効果になる、これは効能効果にならないというか、そのとき、例えば病名というときに、どういったものを病名と呼ぶのか、例えば「風邪」というのは病名なのかどうか、そのあたりを少しお話いただきたいのですけれど。

(小林先生)

例えば、お医者さんが一般の患者さんに言う、いわゆる一般名的な病名がありますね、「風邪」とか。それと本来の病名は違いますね。それは一般的なことを言っているだけの話であって、病名としては、例えば喉の炎症だとか、そういうことになるんだろうと思いますけれど。それを総称して、「風邪」と言っている。で、風邪にはもちろん熱の出る風邪とか鼻水とか、下痢を起こすとか、喉が痛いとか、いろいろな症状がありますけれども、それをひっくるめてお医者さんは全部「風邪」と言っております。一般的に売られている風邪薬というのも、中には各作用が違うということで個別化を図っていますけれど。一般的に呼ばれているものも当然、病名として理解していいと思います。お医者さんがカルテに書くのは病名だけでなく、一般的に言われている病名、例えば胃が痛いといっても、胃炎は何のために起こってくるのか、種類がたくさんいろいろあると思います、それをひっくるめて胃炎と言っているだけの話ですから、一般的な名称も当然、病名に入ってくると理解していいと思います。

(永松先生)

わかりました。そうしますと、例えば「これは風邪がよくなります」とか「風邪に効きます」というと、効能効果ということに引っかかってくるというふうに理解できるということですね。

(小林先生)

そういうふうに理解していいと思います。

(永松先生)

わかりました。例えばこういう言い方は効能効果をうたっていることには必ずしもならない、引っかからないというものは、具体的にありますでしょうか?

(小林先生)

なかなかこれが結構幅広くて難しいのですが…。なぜかというと、健康食品にしろ何にしろ、効能効果をうたうということは、いろいろな意味、表現方法がありますので、先ほど言ったように一定の病気を指しているような言い方は、たとえ抑えた言い方でも、やっぱり効能効果をうたっていると、一般的には理解していいと思います。これは厚生労働省の考え方ですけれど、かなり幅広いです。

(永松先生)

例えば「元気が出ます」というのはどうでしょうか?

(小林先生)

「元気が出ます」というのは、それが単に疲れているときのことを言っているときは良いのですけれども、それが何かの病気を指しているようなときには、やっぱり効果効能になる。単に一般的に抽象的であれば、「元気になる」という言葉はいいと思います。それはさっき言ったように運動でも何でも同じことですから。

(永松先生)

わかりました。先ほどの4つの要件をトータルで考えて、レメディーそのものは薬ということではなくて食品として認められる、食品として考えることが相当であると理解して宜しいでしょうか。

(小林先生)

はい。それでいいと思います。

医師でない人が行うセッションについて

(永松先生)

それではセッションということに移っていきたいと思います。いわゆる医師というもの、そして、医師でないホメオパスによるセッションというものが、法律的にどの様に位置づけられるのかということ。

私自身もそうですし、ここにいらっしゃる勉強している人の半分以上の方が、医療的な資格を持っていない。持っていらっしゃったとしても、医療的にどんなことでもオールマイティにできる人は医師ということになると思いますけれども、医師でない方がホメオパシーのセッション行うということについて、おそらく生徒の方、またそうでない方、これから勉強しようかどうか迷っていらっしゃる方も含めて、最も関心が高いことのひとつではないかと思うのです。レメディーのことももちろんすごく重要です。ただそれはどちらかというとレメディーを販売したりするときに重要になってくることで、セッションというものについて、基本的にどういう風に考えればいいのかということになってくると思います。

ある、医師だけの団体では、ホメオパシーはいわゆる医療なので医師だけが行わなければならないということを主張しているところもあるわけですけれども、もちろん私は必ずしもそうではないと思っているのでこれをやっているわけですが、まずそのあたりで、これから少し細かい具体的なお話をお聞きしていきたいと思うのですが、全体としては先生はどのような印象というか、どういうふうに思っていらっしゃいますでしょうか? 

(小林先生)

私は具体的なセッションというものに今まで立ち会ったことがないのでよく分かりませんけれど、一つ、僕が最初に言ったのは、セッションというのは一種の治療に関わっているのか、あるいは単にレメディーを選択するためにその人の色々な情報を取得するということなのか、という問題があるということです。私は具体的に立ち会ったことがないので分からないので、宿題にさせてくださいというお話をさせていただきました。

難しいのは、色々聞くことによって、例えばお医者さんであれば、心療内科とかであればカウンセラーとかいろいろありますね。医師は病気の部位・原因を特定し治療を施します。セッションをすることによって、それが治療効果にある程度影響をするということがあっても、病気の部位・原因を特定し、その患部を治療することではないので、それはレメディーは別として、もちろんそれ自体が医師法に反するということではありませんけれど、まあ一つの医事的な役割を果たしているのかなと思っております。

(永松先生)

わかりました。そうしますと、例えば友達に話をしただけですごく心が楽になって、すごく精神状態が良くなったり、それに続いてまた身体的な状態が良くなったりするということは、日常よく経験することだと思いますけれども、そういったことも結果として医事的なことに関係しているということにも拡大解釈できることでしょうか?

(小林先生)

これが難しいのは、例えばお医者さんとセッションが違うところというのは、お医者さんというのは、その病気自体に関する範囲で情報を得ます。病気以外のその人の他の情報というものは、基本的には情報を得るということがありません。多分そこが違うんじゃないかなと思います。

セッションの場合は、むしろ病気そのもの以外の歴史的な生活状況のことをいろいろお聞きになるのではないかな。その人の歩んできた人生みたいなところの情報を得るわけですね。医師はそうではなくて、食べ物が関係している時には「夕べ何食べましたか?」と、それは病気の原因を突き止めるために聞くだけの話で、「昨日お酒飲みましたか?」とか、そういう聴き方をする。あるいは「お父さんお母さんに血圧が高い人がいらっしゃいますか?」とか。あくまでも病気の原因を突き止める、あるいは病気に関係することだけを聞くというのが、お医者さんの役割であって。

ここで難しいのは、セッションにおいて病気に関することを聞いたときに、医師と同じ医療として認められるかどうかが、一つの大きな問題だと思うのです。

これは皆さんも経験があるかと思いますけれども、薬局で薬を買うときに、色々聞かれる場合があります。自分自身の持っている情報として、いろいろ言ったり聞かれたりする時に、例えば「血圧が高いですか?」、「これはこうですね」とか、要するに病気に関するようなことを聞いたり聞かれたりすると、それは医療行為とみなされております。ですから薬剤師は薬を販売するために、その薬についての情報を与えるけれど、その人に対する病気についていろいろ聞いたりすることは出来ないということに、基本的にはなっている。これが医師法と薬剤師法の境界線です。

そういうことからすると、セッションにおいて病気の事を聞くということが果たして医師法の領域に入っていくのか?という問題になっていきます。病気についてあまり聞かないかもわかりませんが、仮に聞いたとすれば、そういう領域にはいっていくかなと思っております。これは薬事法の問題ではなくて、医師法との接点になります。

(永松先生)

セッションにおいてはその方についてのあらゆる全体をつかもうとするわけですから、その人がいわゆる何らかの病気になっていると、その病気のことも当然その人の人生の一部ですから、当然病気のことも聞くようになりますけれども、そうすると病気のことを聞いた段階で、そのあたりが多少微妙なところがでてくるということになりますでしょうか?

(小林先生)

多分そういうことだと。まあそれを目くじら立てて言う人はいないと思いますけれど、法律的な見地からいうと、そういう仕分けになってくるのかなと思っています。病気のことを聞くと医師法の問題に関わってくる。まあ、法律的な境界線としてそういう問題があるということだけ認識しておいていただければ結構だと思います。

(永松先生)

その認識の仕方ですけれども、つまりそこにある種関係してくるということで、例えばその病気のことについては聞いてはいけないという理解なのか、それともある種そこに抵触してくる、その領域と関係を持ってくるというふうな認識なのか、どういう風に考えたら宜しいでしょうか?

(小林先生)

説明の問題になると思います。セッションを受ける時の説明の問題になると思うんですけれども。

患者さんがセッションを申し込みました。その時に、「およそこういうようなことを聞きますけれども、いいですか?」ということで聞く分であれば、了解を得ているということだと思いますので、強制的に聞くことではないと思いますので、任意に話していただいたということであれば、それは医師法との関わりあいがちょっと薄まるのかなと思います。

(永松先生)

なるほど。そうしますと例えば医師の場合は、病気について聞くことというのは、患者さんに対するある種の強制力のようなものというものが、医師という職業柄働くという風に考えてよろしいでしょうか?

(小林先生)

患者さんは、治してもらいたいので、病院へ行きます。病院とは、簡単に言うと治療契約です。「どうぞ私の病気を治してください」といって、病院は、その病気によって診療科目の先生に担当させて、その病気を治療させます。治すというのではなくて、治療をさせます。治らない病気もありますからね。それが病院あるいは医師の役割であり、義務です。ですから当然、治療する以上は病気のことを聞くという必要性がありますので、患者さんも病院に行く限りは色々聞かれるし、聞かれた事を大体答えますよね。嫌だと言う人はいないと思いますので、大体答えると思いますけれども、それはそういう意味で、契約の中に含まれていると理解していいかなと思います。

(永松先生)

わかりました。そうしますと、まずこのホメオパシーというものをもともと想定していない中での法律、それは医師法にしても薬事法にしてもそういうことだと思いますけれども、私の今の基本的な認識としては、ホメオパシーの日本においての法律的な位置というもの、地位というものはある種定まっていない。そしてそれが現在において厚生労働省の範囲の中にある種入っていないと申しますか、つまり直接的に「これはこうしなければならない」というふうな領域にある種入っていない。つまり認識がないというふうなことで、それは「やって良い」とも言われていないし、「やってはいけない」ともある種言われていない。そういう意味においてはグレーである。グレーであるけれども、基本的には、その位置というものは、「公共の福祉に反しない限り、職業の自由が認められている」という範疇の中に入っているのかなと理解をしているのですけれども。

この問題については、ずっと前にいろんな形で私なりに調べた時に、ジュリストで、医師の資格も、按摩、針灸、柔道整復師、そういった資格を持っていない者が、高周波療法というものをした。そしてそれが医師法に抵触するのかどうかということについての最高裁の判決の中で、「基本的に公共の福祉に反しない限り、憲法に保障されている職業選択の自由(憲法22条は、何人も公共の福祉に反しない限り職業選択の自由を有することを保障している)が優先される。」ということがありました。ここにおいて、公共の福祉に反しない限りは、つまりクライアントとの間で何らか反社会的な反公共性的な何らかの問題を生じない限り、職業の自由というものが保障されているということが優先される、というような理解をしているわけですけれど、その理解というのは全体としてどのように思われますか?

(小林先生)

ホメオパシーそのものは、薬事法でもうたわれてないし、どこにも制限はありません。要するに今法律で「やってはいけない」とか、逆に「やっていい」という法律もないですけれど、「やってはいけない」という法律はありません。したがって、やっていいということですね。

これについては健康食品も同じですね。「食品」と言っているけれど薬としての作用をうたっているようなやつもありますけれども、これ自体、厚生省が全部制限しているかと言うと、実際なかなか制限していなくて、制限しているのは、副作用があって、患者さんあるいは国民の方に被害が及ぶようなものについてです。これはかなり制限をして、インターネットなどでお知らせしているということだろうと思います。

本来、患者さんは自分の身体について、自分で治療方法を選択する権利があります。例えば、皆さんもそうですけれど、こっちの病院の方がいいとか、あっちの先生の方がいいとか、病院あるいは医師でも、あっち行ったりこっち行ったりして選びますし、あるいは薬も自分で、まあ選びます。そういう意味で、一番初めに言いましたように、総合医療というのは、その中に代替医療というものと西洋医療、今のお薬も問題がありますけれど、それをどうやって取り入れていくかというのは、患者さんの権利の問題です。そこのところを選ぶのは、患者さんであって、厚生省でもどこでもない。これが前提でありまして、先ほど「公共の福祉」と言いましたけれど、そんなに偉そうに言わなくても、言ってみれば国民の健康に寄与するものと認められるものであれば、それは薬事法に書かれてなくても、あるいは法律で制限がない限りそれは使っても良い、当然利用できるかなというふうに理解しております。

ただし、さっき言ったように、その利用の仕方あるいは表示の仕方が、あまりにもオーバーになったり、一般の人に誤解を与えるような表示とか宣伝とかいうことになると、これは少し問題があるというふうに理解した方がいい。だから、普通に、まじめに、ちゃんとやっている限りはそんなに恐れることはないと思います。

(永松先生)

わかりました。そうしますと、最も優先されるものというのは、個人個人が自分の健康増進、また自分の病気の治療に関してどういう選択をするのか、そういうふうなある種の自由というか、それがまず大前提として最も優先されるべきものであると。そして、その方向の中においては、それがそれなりにまじめに考えられていて、国民の健康に寄与する、増進する、そういう目的に合うものであれば、基本的にそれは良いのではないかと。そこで行き過ぎた言い方にならないように気をつける必要があるけれども、その意味においては、ホメオパシーは、我々が基本的に安心してやっていいと。よほど変なことをしない限りにおいては、基本的には、まじめにそれを考えてやっているぶんには良いのではないかと、大筋そういうことですね。

それでは、大体私のほうから先生にお聞きしたいのは以上のようなことですけれども、皆さんも今日こちらにいらっしゃったときに、いろんな意味でスッキリされたいというお気持ちのかたが多いのではないかと思います。ですので、皆さんなりに気になるところですとか色々なことについて、自由にご質問いただきたいと思います。いかがでしょうか。

(小林先生)

ちょっと質問の前になんですけれども、最近の傾向だけちょっとお話をしておきたいと思います。

最近は学会を含めて、今の西洋医学による治療というのは限界があるというふうに、少なからずお医者さんはそう思っています。したがってもっと総合的な、健康食品とか代替医療、補完医療も含めた総合的なものを取り入れていかなければいけないのではないかと考えているお医者さんが多いです。それはなぜか。

ちょっと考えるに、昔のように病気そのものが単純でなくなってきているんじゃないかと思います。昔は、胃が痛い、頭が痛い、喉が痛い、もうはっきりしていたんです。その原因はというと単純で、食べすぎとか、悪いものを食べたとか、もう原因ははっきりしていた。ところが今はそうではなくて、簡単に言うとあらゆるストレスが原因になって、最近は僕は、あらゆる病気はストレスが原因になっていると言いたい。そのストレスというのは、もちろん人との問題、会社との問題、いろいろな場面で出てきますけれども、そのストレスも一つではなくて、いろいろが重なって混ざり合っているので、一つの病気ではあるけれど、その元に戻っていくといろいろなものが入っているので、それは西洋医学、要するに薬を投与しただけでは治らない。簡単にいうと、病気が治っても、つまりその炎症している部分の腫れがひいても、癒されない部分が常に残っている。その癒されない部分というのを治療する為、あるいは解消する為には、西洋医学だけでは無理であると、もっといろいろなものを取り入れていこうという気運が、今、色々はじまっています。

それで、それについては厚生労働省も、やはり代替医療、補完医療について今までと少し違った、方向転換をしているのではないか。法律で今認められているわけではありませんけれども、全部否定しているだけではよくないのではないかということで、今少し方向転換をし始めております。

そういう意味でホメオパシーも、位置づけでいきますと、もう少し世間に認められても良いのかなと私は思っています。皆さんもご存知のようにまず副作用が全然ないですから。それからまたさっき言ったように、セッションというものがあるものですから、そういう中で、やっぱり多分に治療にどこか影響しているのかもわかりませんけれども、そういうものがあるのかなとは私は思いますけれども。まあ普通疲れたりしますと、女性同士で喫茶店で3時間位しゃべると大概治っちゃうということもあるけれど、それでは治らない部分が残っているんじゃないかなと思うんです。僕は加わってないからわからないですけど、女性同士で話をしたといっても100%全部開けっぴろげて話すわけじゃないと思うんです。やっぱり自分の本当に秘密の部分とか、あるいは話したくない部分は、いくら友達でもあるんじゃないかな。そういうところの問題が、セッションで少し話をしたりしているうちに、解消されてくるのかなというふうなことを思っております。そういう意味では、ホメオパシーというのが花粉症に効くとかいろいろあるかもわかりませんけれども、現代の人の悩み、要するに先ほど言った癒しということについては、かなり効果的な部分を持っているのではないかなと、私自身は思っております。

(永松先生)

ありがとうございました。あともうちょっとお聞きしたいことがありました。先生は厚生労働省の中でのいろんな動きにもそれなりにお詳しいと思いますけれど、例えば今の補完医療、代替医療というものに対して、それなりに関心を持つ医師の方達が増えている、そういうふうな気運にあるということですが、その補完医療、代替医療といわれるものを、医師だけに制限しなければならないとか、そういうふうにしたいというふうな動きというものは、厚生労働省の内部にはありますでしょうか?

(小林先生)

まだそこまでいってないと思いますよ。それは医師とは違う分野ですから。医師が扱うのは良いとしても、医師でなければいけないという分野ではないと思います。これはまた専門分野になりますので、医師の免許があるからといって出来るという問題ではなさそうだと、僕は理解しています。

ですから本来ならば、違う一つの独立した医療の中の一項目であるとか、そういうやり方が正しいのかなと思いますけれど、これまた難しい。なぜかというと、法律で認められるということは、逆に法律で制約もかかってくるということですから、そこのところの難しさ。それから法律で認められるということは、これはかなりいろいろな条件が出てきます。組織がきちっとしているのか、あるいは作用が何か根拠があるのかないのかとか、実績があるとかないとか、例えば生徒さんを教えるということについてどういう授業をしているのかとか、何か色々な条件が出てくると思います。だから何も法律で認められなくても、事前に色々そういうところの整備をしていく必要があるかなと、僕はそういうふうに思っています。

(永松先生)

例えばカウンセラーとか、いわゆる臨床心理士の資格というものは、もともと民間の資格でしかなかったわけですけれど、30年か40年の歴史を経て、今多少もめているところもあるようですが、国家資格にしようという動きというものが、よく新聞紙上に書かれていたりしますけれども、そのときもちろん臨床心理士は、医師であるわけではない。もちろんそういう人もいらっしゃいますけれど。例えばホメオパシーも、それと同じようになんらか地道に活動していく中で、医師ということとはまた別に、別というのは臨床心理士が別であるということと同じような意味合いにおいて、独立した国家資格というものになってきうるような、そういうふうな可能性というのはありますでしょうか?

(小林先生)

僕は、将来的にはそういうきちっとした資格というのが、やはり社会的に認められる資格があったほうがいいのかなと思っています。将来的な話ですけれど。

(永松先生)

わかりました。どうもありがとうございました。それではお待たせいたしました。皆さんからのご質問を頂きたいと思います。どなたでも、どんなご質問でも結構です。

参加者との質疑応答

(質問者)

今はホメオパシーというものが認知されていないから、規制なども全くなくて、してはいけないこともしていいこともないんですけれども、だんだん広まっていって、認知されてきたら、絶対ぶつかるところがあると思うんです。そこで何がぶつかるかということをあらかじめ知りたいと思うんです。例えば、さきほど先生がお話していただいた中で、「あれ、そんなこと」と思ったのは、「体の調子が良くなります」とうたってはいけないということです。でもそこは言わないと説明ができない。

それからもうひとつ、例えばアルセニカム、砒素と書いてしまうこと。成分としては砒素は入っていないけれども、多分、西洋医学では、成分を測れるものでしか表せない。例えばストレスというものも数値に表せない、けれども実際には体に起こること、それを現さなければいけないのか。例えばホメオパシーは、健康診断で実際に表せないものですよね、でも実際にあるもの。あてはめられないものを実際にどうやってあてはめられるのか。そこはホメオパシーの問題ですけれども。

それから例えばアメリカ、フランス、イギリスでは、実際にファーマシーをやっていて、医師が行っていて、どこが日本と違うのかということをお聞きしたいです。

(小林先生)

3つぐらいありましたね。初めは、薬事法に関するかどうかの話ですけれども、僕はさっきこう言いました。「これは現在の薬事法、現薬事法ではそうなっていますよ」ということ。それからさっき話したように、レメディーそのものは現薬事法では薬として認めるほどのものでもない、入っている成分の量、作用、その両面から見て。そこについてはただ薬事法の制限がないわけですから問題ないのですが、問題はそれに対して、今おっしゃったように「何々に効きますよ、良いですよ」と言うことが、果たしてどうなのかということですよね。本当はきちっと、そこのところを宣伝していくことが、宣伝というとおかしいけれど、ホメオパシーが日本の社会において認められるためには、あまり嘘をつかないできちっとやっていった方がいいかな、と僕自身は今思っているんです。

それから、砒素は一般的には毒だと言われていますよね。これは砒素に限ったことではないと思うんですけれど、よく知れ渡っていますよね、結構殺人に使われたりして。で、砒素という名前だけからするとそうなっちゃうんですけれど、これを隠しちゃうというのはあまりいいことじゃないですよね。僕は、それはそれでちゃんと説明して出していったらいいんじゃないかなと思います。砒素のレメディーって結構使うわけですよね。だから、そこの説明をきちっとするかどうかの話になるんじゃないでしょうか。ただそれを隠して違う名前で言うとかいうことは、あまりいいことじゃないのかなと思います。

(質問者)

基本的にはひっかからない?

(小林先生)

基本的には全然ひっかからないですから。さっき言ったように薬事法にもひっかかってこないと思いますので。

砒素以外にも、例えば水銀とかあるんじゃないかと思うんですけど、そうするとやっぱり水銀も一般的には毒だと。そういう意味では、あまりそこで制限しないほうがいいです。それは薬でも同じですよね。薬にも水銀が入っているものもあります。砒素が入っているのもあるし、植物にだって砒素が入っているし、我々が普通に食べる食物だって砒素は入っているけれど、ただ量が少ないので。だからその辺の説明なんじゃないかなと思うんです。砒素とか水銀をことさら違う名前で言うとか、そういうことはしないほうがいいのかな、それはかえってホメオパシーというものをゆがめることになるのかなと思います。

(質問者)

「体の調子が良くなります」というふうにうたってはいけないというところで、でもうたわなければ説明ができないという。

(小林先生)

先ほど4つの要素があると言いました。それを言うと薬事法に引っ掛かっていくと言いました。それは、仮に健康食品であって、飲んでも食べても自分の健康に全然影響はないんだけれど、「これは何々に効きます」と、そういうことが書いてあること自体が、薬として見られるということがありました。それは健康食品についても同じですので、中身がお米であろうと麦であろうと豆であろうと、「これは何とかに効きます」と言われると、一般的には薬とみなされます。ただし、また難しいのですけれども、機能性食品でなくても、豆を食べるとどうとか、昆布を食べるとどうとか、一般的によーく言われてますよね。制限なく言われていますよね。「納豆を食べると血液サラサラになる」とか、よく言われていますね。そういうこと自体は、本当は良くはないんだけれど、厚生労働省は、納豆を食べて死ぬ人はいないし、副作用があるわけではないから、そこはだから放ってあると思います。薬事法からいうと駄目なんだけれども、そこのところの話かなと。

そうすると、ホメオパシーのレメディーも、それにもし類するとすれば、副作用というものがなければ、そんなに厚生労働省が目くじらを立てるということはないのかなと思っています。だから薬事法に反するかどうかということとはちょっと違う。

なんて言いますか、たとえば一般的に社会で認められた表現というのは、仮にそれが嘘の場合であっても許されるというのがありまして、例えば「○○というレメディーは花粉症に効きます」、100%効くかどうかはちょっと僕も分かりませんけれど、実際はそうじゃないかもしれないですよね、効かない人もいるかもしれない。で、花粉症のレメディーがいくつかあったとすれば、Aというレメディーは効くけどBというレメディーは効かないとか、100%ではない。そうすると結果的に、一個については嘘を言ったことになりますけれど、それは一般的な嘘ではなくて、薬もまた同じですよね。とりあえずこの薬を出してみよう、で、出したら効かなかったということがあります。この前ドラッグストアで事件がありまして、それは、薬局の薬剤師さんが、薬を買いに行った方に、「これは効きます」と言って売ったら、「効かなかったんですけど」という。それは効かない場合だってあるだろうと思うんですけれど、やっぱり言い方の問題で、それは効かない場合だってあるということを、患者さん自身が認識しているのが普通だと思うんですけれど、なんでもかんでも言われるとその通りになると思うほうが、もしかしたら常識からずれている、そういう意味で結論的に言うと、きちんと検証された結果について言うのは、ホメオパシーを育てていく上では必要かなと思います。

(永松先生)

(質問者に向かって)先ほど砒素について言われたのは、そういった砒素に限らず大量に取ると毒になるといわれているようなものがすごく多いわけですけれども、そこにおいて、さっき壁と言われたんですよね。広まってくるとある種の壁にぶつかるのかなと。例えばそこで、必ずしも嘘を言うということを意味されているわけではなくて、ただ「砒素」と言う言葉で、結局一般の人がどんな風に感じるかということでしょうか?もしくは…?

(質問者)

毒を売っていると思われる。砒素というと、例えば薬局で置くことが違法になったり、そう思われたり。例えば「砒素」とラベルに貼ることになるので。それが誤解されると、「法的にこれはいけない」と言われないかという懸念があったので。砒素は売ってはいけませんとか。

(小林先生)

そういうことではないです。砒素というのは、多分ひじきには多く含まれていて、このレメディーの量よりはずっと多く含まれています。

(質問者)

はい。他のものも大体自然界にあるもので、食べ物にもたくさん入っているものですけれど、それが違法にならないのかな、ということをちょっと心配したんですけれど。

(小林先生)

一つ考えてみていただきたいのは、今、お医者さんがこういうホメオパシーのレメディーを処方していることが実際にありますよね。お医者さんがレメディーを処方する時には、薬としては処方してないですよね。代替医療、補完医療としてのレメディーを使っています。お医者さんはそのときには、「これ胃に効きますよ」とか、「今まで病院薬を使ってきましたがあまり効かないからホメオパシーをやってみましょう」とか、「ホメオパシー使ってみませんか?」とか、何か病気を特定して使っていますよね。お医者さんは。「何かただ元気になるからやってみましょうとか」いうことは絶対にないですよね。お医者さんというのは、必ずなにか特定の病気に対して使っていますよね。医師ですから、治療というのができるわけですけれども、ホメオパシーのレメディーだけ取り出してみると、お医者さんが効くと言おうが、違う人がレメディーを与えて効くと言おうが、効くという作用は同じですよね。そうすると、お医者さんが言ったから良いとか、お医者さん以外の人が言ったからいいとかというのが、はたしていいのかというところだと思います。その辺を少しパラレルに考えていくと、もう少しホメオパシーというのが大威張りで通っていっても考えてもいいのかなと思います。

(質問者)

はい。あと海外で、例えばファーマシーで普通に売られていても全く違法ではないですよね。日本ではまだ売られていなくて、今後違法になるかもしれないというところ、その違いはどこにあって、例えば何を整えるべきなのか、何が必要なのか知りたいなと思いまして。違法になる可能性があるのかどうか、その場合は何が、どこが問題なのかどうか、何を整えるべきなのか。

(小林先生)

例えばイギリスとかフランスとかいうのは、日本の漢方薬のように歴史的な流れがあって、その中で使われてきたことですよね。日本の漢方も、厚生省が承認していなくても漢方として認められると売ってもいい。ただ保険は利かないということはありますけどね。それと同じで、昔から使ってきたから良いじゃないか、中国から使ってきているからいいじゃないか、そういうことで。それがホメオパシーに関しては、イギリスやフランスでは、一応有効性があるという形で使われてきたんだろうなということですね。そこのところは、日本の「薬」という概念とは、ちょっと違うんです。さっき言ったように、毒としての薬が体内に入って、体内に入ったときから排出されるまでの作用機序というものが、少なくともレメディーの場合は全然確認できないです。あるかないかも確認できないんですから、入ってから出るまでなんて、全然確認できないですよね。普通の医薬品というのは、口から入ってから、胃で吸収され、腸で吸収され、それで分解されて、どういうものに分解されて、例えば肝臓にとどまるとか脾臓にとどまるとか、排出されるまでに24時間かかるとか、その間に血中濃度がどのくらいになってとか、そういうのを確認して、治療効果としてこういうことになる。レメディーはそれが全然できないですよね。そこがないから、まだ認められていないんですよね。「認められていない」という意味は、今の厚生労働省の、治験という段階のことができないので、認められていないのかなと。今の薬事法というものを少し改正しない限り無理です。

僕が思っているのは、今の薬事法は薬事法でいいと。そのほかに「代替医療法」みたいな、「補完医療」でもいいですけれども、そういう法律みたいなものを作って、「こういう条件なら売っても良いよ」と。例えば副作用は本当にあるのかないのかということでも。

最近はコエンザイムQ10というのが、どれだけ飲んだらいいのか、あるいはどれだけ飲んだら体に悪いのかということが議論されていますけれど。あれも飲みすぎると良くないというのは事実として、じゃあどのあたりが境目なのかというと、よく分からない。だからそういった意味で、先ほど言いましたように、国民の健康に寄与するためにどういう要件を出したらいいのか、やはり違う法律をつくって、きちんとしていくほうがいいのかなと思っています。

でも現時点では薬事法で考えていくしかないというところがありますね。そうすると薬事法の中で果たして行けるかどうか。で、なるべく薬事法に入らないように入らないように、僕がさっき言ったような理解をして、けれどもきちんとアピールはしていかなければなりません。別に悪いことではないですから。その中で、皆さんが思ったようなことが出てきたら、一つ一つを解決していくようにするのが良いのかなと思います。あまり逃げるのではなくて、真正面から行くほうがいいのかなと思っています。

(質問者)

薬事法にはめることは絶対無理だと思うんです。全く逆のことをしようとしているので。今いわれている薬の害についても、全く違った、ある意味全く逆のことをするので。薬事法に入れて欲しいとは思わないというか、今おっしゃったように、全く別の方向でというのがいいんだと思うんですけれども、そういった話は実際進んでいるのでしょうか?それとも全くまだゼロなのでしょうか。

(小林先生)

この話は、少なくとも健康食品に関しては、今厚生労働省の外郭団体で少しいろいろやっていまして、今までとは違うというのはそういうところなんです。さっき言いましたように癒しという点からすると、少し今の治療薬では足りない。だからもう少し、いろいろな広い面で決めていく、あるいはどうやって承認するかは分かりませんけれども、そういうのも考えていくというときに、代替医療、補完医療という全体をどうしたらいいかという問題はもち上がってくると思います。まだ今始まったばかりですけれども、どの時点でどうなるかというのは、今のところまだ見えておりませんけれども、そういう意味で、今は少し薬事法だけの中でやっていったらいいのかなと。さっきのように、逆にやっちゃいけないということではありませんので。

(永松先生)

今の件に関して言えば、イギリスの方では、ホメオパシーのレメディーの位置づけというのは、紛れもない薬剤、薬なんだけれども、誰でも売っていい、そういう薬剤であると。なぜなら副作用が無いので、結局は安全なものなので、誰でも売っていい。だけれどもそこには明確な、広い意味でのそういうふうな薬的な作用というか、大きな意味でのそういうものは紛れもなくあるので、薬としては認められていると。私は、これはとても羨ましいなと思っているんですけれども。また、これもイギリスの人から聞いたんですけれども、例えばアロマテラピーの精油とかも、一般の人がどこでも売っていいわけですけど、医師が医療的に使うと、それはその瞬間に薬品になると。でも一般の人が普通に、いわゆるリラックスということで使ったら、ただの雑貨になると。同じものが薬品になったり、雑貨になったりするという話を聞いて、それは非常に本質に根ざした、いい法律だなというふうに思ったんですけれども。例えば日本でそのような可能性というのはないのでしょうか? そういう風に変わっていくといいますか。

(小林先生)

僕は常々思っているのですけれども、外国と日本では元々何が違うのかなと。歴史的な違いというのもあると思うんですが、自己責任というものは相当違いますね。外国では自分で選んで、それは自分の選択だというのがはっきりしてる。日本はそうじゃない。何かあると「厚生省が悪い」とか、「製薬会社が悪い」とか、他人に押し付けようとする。そこが違うと思います。

だからこれから先、僕も努力はしているんですけれど、やはり自分の体は自分で治すという自己責任というものが、きちっと意識改革をしていかないと、そこはなかなか難しいと思います。どうも日本はそこが、遅れているというか、自立心がないというか、そういう国民性に根ざしているところが多分に僕はあると思います。だから今、僕はドラッグストア協会にもよく言うのは、自己責任というのをもっと宣伝していこうと。そうしないと、どこか悪くなったときには、薬だ、製薬会社だ、厚生労働省だとかいったところで、自分の責任というものがないから。自分の責任がないから、きちっと薬剤師にも聞かない、お医者さんにも聞かないということなんだろうと思うんです。そういう意味では、自分の責任ということをきちっとすれば、例えば病院に行っても薬局に行っても、あるいはセッションをやっても、自分のことについてもっと知って、自分のことについてきちっと正確に話ができるようにならないと、病気というものはよくならない。ただ単に行って座って、なんとなく気持ちが悪い、というだけでは良くならない。だからそういう意味では、自己責任というのを少し考えないといけないんじゃないかなと僕は思ってます。そういう意味では社会的にまだ整備されていないのかなと思っています。

(質問者)

実際に流通しているレメディーがありますね。現在、レメディーにおける薬効についての説明はどのようになっているんでしょうか?日本で流通しているレメディーの製品については。

(永松先生)

薬効という形での説明というものとは違います。つまり、これは一般のお薬とは全然違って、例えば何とかに対抗するとか、遮断剤であるとか、そういうようなこととは全然違って、レメディーの場合には、症状像という、そういったものがあるわけですけれども、それはただ単に薬効的な、病理的なことが述べてあるのではなくて、その人の全体的な特長とか、そういったものがあります。それはレメディーそのものに書いているわけではないのですけれども、基本的にブックレットというか、小冊子みたいなものの中に、「このレメディーは全体としてこのような全体像を持っています」、そしてまた「セルフケアで使う場合には、こういう場合に使うことが多い」とか、そんなような書き方で書いています。

(質問者)

実際に家庭用キットがありますよね。受付にもありましたが、商品にはどういう成分が書いてあって、成分だけなんですか? 砒素なら砒素と。含有量は?

(永松先生)

元物質の名前が書いてあります。そしてそのポーテンシーが書いてあります。ポーテンシーというのは、基本的には希釈度ということです。

 

(質問者)

それだけですか?

(永松先生)

それだけです。

(質問者)

私は獣医師ですが、日本でこれが認められるのはかなり先のことで、むしろ一番問題なのは、いわゆる薬事の世界よりもむしろ医師法、医療行為に入るのか入らないのか、むしろここだと思うんです。薬事のほうからだと前提があるわけですから、これは薬事のほうからは認めがたい、認めたくない、認められない。これは認証しようにもできないわけだから当然できない。そうすると、むしろホメオパシーの行為によって一定の対価を受けるとした場合の、行為そのものが、私どもの立場から言えば医療行為に該当するのかどうか。それから行為に対する責任が取れるのかどうか、そこに疑問が出てくる。またそこに資格というものが発生していかなきゃいけない。外国では歴史的背景があり、社会的要求があるから認められているけれど、日本ではごく一部の限られた中で。確かに代替療法の中でかなりいわれてきているのは知っていますけれども、それでもまだまだごく一部の方々の医師がそういう発言・行為をなさって、いわゆる医療学会というものもあります。ただそれもいろんな分野の中のその一つでしかない、それだけをとりあげて何かを使いたいというのは、これは社会的認知がされるまでは…。ただ正しい知識が必要であると思います。これからの可能性としては非常に高い分野だとは思うのですが。

(小林先生)

医師法に関しては、おっしゃるとおりで、さっき僕も言いましたけれど、やはり医師法との接点がどうしても出てくるというのは、どうしてもあるのかなと思います。ただし、さっきも言いましたように、レメディーを、お医者さんが処方する薬と同じだと理解していいのかどうなのか、その辺が引っかかってくる話なんです。

先ほど永松先生の話で、地球と月の引っ張り合いの話がありましたけど、あそこまで大きいことになると私もよくわからないんですけれども、僕なんか身近なことで理解するものだから、簡単に言うとこういうことですね。僕が病気になった。でも何かきれいな人と恋をしたらいっぺんに治っちゃった、というようなものですよね。そのきれいな人がレメディーあるいはセッション。病気に直接さわっているわけじゃないですよね。要するに、何らかの形で元気が出て、治ってしまうということなのかなと。そのくらいの話なら僕もよく理解できるんですけど。

だけど、セッションとして聞くということについては、さっきも言ったように必ず医師法との問題が出てきて、それで今はまだそんなに広がっているわけではないですから、正直なことを言ったからって、医師会が文句言うというようなことはありませんけれど、これが結構広がってきて、お医者さんの患者さんを奪うようなことになると、そこから戦いが始まるだろうと思っております。それはまだ先ですから、それまでに考えましょうかね。

ちなみに獣医師さんの場合はどうなんでしょうか?

(質問者)

獣医も医師法です。

(小林先生)

僕もさっき言いましたように、やっぱりきちんと世間に認められて、アピールするためには資格制度は必要だと思います。それもおいおいやってくるだろうと思いますけれど。ちなみに獣医さんですと、セッションというのはないですよね。犬や猫、動物にレメディーを出すだけになりますかね。

(質問者)

私はそんなにやっていないのですが、海外ではやっていると聞きます。

(永松先生)

海外ではいろんな馬とか牛とかいろんなものを見て、外からも見ますし、飼ってる人からも話を聞いたり、トータルで見ていきます。

(質問者)

人間より動物のほうが反応性が高いですよね。人間には理性があって、動物にはないということからか、根本的に反応することが大きいですよね。

(永松先生)

そうですね。動物もいろいろ見ておりますけれども、非常に反応性は高いです。

ここで、ホメオパシーの本質的なことから言えば、もともとホメオパシーは紛れもない医療として、それもそれまでの古い医学に全部とって代わる新しい医療として打ち立てた。まあそういうものであるわけなんです。ですから本質は紛れもない医療であるわけです。ただ、ここで問題なのは、本当の医療というもの、さきほど申し上げたphysicianということと、現在のいわゆる医学教育の中でのその教育内容というものが、もちろん重なるんですけれども、残念ながら全部重なるのでは全くなくて、一部しか重ならないということ。まあそこに非常に大きなギャップがあって、もともと本来から言えば、そういうふうなことを全部、解剖生理病理、今やっていることもある種含めてもっと大きなところも含めて教育を受け、トレーニングを受けた人達が医師になるというシステムであれば、まさにそういう人たちが医師になるべきなので、そういう人たちがホメオパシーを、というかホメオパシーはそういうものとして打ち立てられたわけですから、そういう意味での医師がやるべきものであるということなんです。ただし、それが現行上の医師とは、極論すると無関係、と言うと多少言いすぎなんですけれども、そこがなかなか重ならないということ、そこに大きな問題があるということですね。

それと、現在の問題で言えば、例えば医師の中でホメオパシーを行う人はそれなりに多いんですけれども、それはまあ極論すると、副作用のある新薬の代わりに、副作用のないレメディーというものを使ってみようということで、実際の基本的な考えは現代医学的な考えと全然変わっていなくて、ただ単に、これは肝臓にいいらしいとか、この病気にいいらしいということで、ただレメディーを使っている。そういう方がほとんどなので、それはホメオパシーのレメディーを使っているけれども、実際にはホメオパシーではないということなんです。そのあたりの問題もある。

理想としては、最初に申し上げたようなトータルな意味でのphysician、それが本当の医療なので、それを行うということ。それと、医学教育そのものが大きく変わってきている。勿論今も問題があるということで、少しは広げようとしているみたいですけれども。でも残念ながら、いわゆる専門家というものが、それがいいか悪いかは別として、実際問題としてそんなことをやっている時間はないということになって、そんな全人教育は単なる掛け声だけで何もなされてはいませんし、トータルでみて人間を理解するというような訓練というのは皆無に近いと理解をしています。ただ、ではそんなことを考えている医師がいないかというとそうではなくて、すばらしい医師の方も中にはいらっしゃるわけですけれども、残念ながらそれは一人一人の資質に完全に預けられていて、それが教育の中で系統だったトレーニングには全くなっていない。そのあたりが非常に大きな問題だと思うんです。ですからそのあたりで、社会的認知ということはもちろん非常に重要なことであると同時に、その中身というものがやはり一番重要なのです。

中身で言えば、例えば現在の医療の頭でただ単にレメディーを使ったというだけでもそれなりの意味はあるんですけれども、第一歩でもあるけれど、ホメオパシーそのものとは大きく開きがある。なので、現在ではむしろ、中身においては、医師でない方が真剣にホメオパシーを学ばれたほうが、ホメオパシーの本質的なものを理解するということが、結果としてそれなりに大きい事である。ただ、ここで勉強していらっしゃる医師の方は、一般の医師の人達が多少片手間というと変ですけれど、いいとこ取りをしようとして、ちょっとホメオパシーを何回か勉強したということとは全然違う形でホメオパシーを勉強していらっしゃるという認識をしております。

(質問者)

始めて来たんですけれども、レメディーが売られていると思うんですが、それで食べたことがあるんですが、あれはどういう扱いですか?

(永松先生)

たとえばニールズヤードで売られているものは、食品として売られているはずです。

(質問者)

カウンセリングをしてそういう食品という形で売るというのはどういうことになるのでしょうか? 例えばホメオパシーの病院というのは?

(永松先生)

「ホメオパシー」とうたった病院はおそらく作れないと思います。

(質問者)

カウンセラーがいて、そのカウンセラーが相談に応じて、レメディーを売るというのは?

(永松先生)

今日のお話の中で言えば、それはできると。ニールズヤードの場合は、基本的にカウンセリングは行っていないと思います。ただレメディーを置いてあって、そして本を置いてあって、自分で自分に合うと思うものを選ぶ、それこそ自己責任でレメディーを選ぶ、そして自分でレメディーを買ってくださいと。あそこでは一切、何もカウンセリング的なことをしていないと思います。

(質問者)

カウンセリングをしてレメディーを出すということをやっているところはないのですか?

(永松先生)

それはもちろん、こちらでもやっておりますし。

(質問者)

そういうお店というか、そういったところもこれからあってもいいのではないかと思うのですが。

(永松先生)

そうですね。それもこれからの課題として考えてもいます。

(質問者)

今日のテーマのホメオパシーと法的環境ということでお聞きしたのですが、医師法とか薬剤師法とか、いろんな法整備をしないといけないということは分かるんですけれども、現在の西洋医学のお医者さんは西洋医学だけでは限界があるとのお話、そういう場合に、今、アメリカとかイギリスとかインドとかフランスとか、諸外国の医療機関が日本に入ってきて、いろんな医療技術とか、手術とかそういうものが入ってきて、国際競争というとなんですけれども、もまれてきたら、日本のお医者さんも別の見方も出来るんじゃないかと思うのですが。ホメオパシーに限らず、いろんな代替医療、西洋医学すべて含めて、何が人に対して、患者さんに対して働くかということですよね。厚生労働省、自己責任、確かにそのとおりだと思いますが、そういうことをするためにはいろんな競争原理が働いて、もまれるなかでいろんなことが分かってくるわけですから、厚生労働省としては外国からいろんな医療機関が入ってくるのはどういう風に考えられているのでしょうか? 現在でも医療保険は外国資本が入ってきているわけですけれども。

(小林先生)

おっしゃるように、何でもグローバルであれば良いと思うのですが、法律が国々によって違うんですね。例えば国によっては日本で禁止されているものが良かったりします。それから、国の歴史とか色々ありまして、その国ごとの法律に従うしかないです、今のところは。薬に関しても、例えばアメリカで売られている薬が日本にそのまま入ってきて売られるかというとそうではなくて、日本の薬事法に従った資格を取らないと、日本では売られておりません。ですからアメリカと日本では売られている薬が違います。もちろんアメリカと日本では体格も違うし食べ物も違いますから、必ずしも同じになるとは限らないのですが。それにしても日本とアメリカだけ比較してもかなり違うものですから、今は国ごとの法律でやっております。例えば、外国で販売されている薬を日本で販売することについては、外国の資料など集めて、前よりは良くなっていますけれども、それが全部撤廃されたわけではないものですから、今のところ国ごとに承認しているというのが現状で、これがもう少しグローバルになるにはもう少し先になると思っています。

(質問者)

日本でも患者さんがインターネットを調べて、外国の医療機関へ行って治療を受けるということもあるわけですけれども。東京の六本木の方に、ジョンス・ホプキンス・ミレソン・インターナショナルというのが出ているそうですけれども、そういうような外国の資本で作った医療機関は日本にもうあるし、そこへ日本の患者さんが行くということはいいわけだし、そこで医療を受けて出される薬を飲むことも認められているんですよね?

(小林先生)

認められています。ただしそれは、さっき言いましたように、日本の法律の範囲内でしかできないです。ただイギリスのお医者さんが来てイギリスで使っている薬を全部使えるかというと、そうではない。日本で許可されている薬を使うしかないです。そういう制約はあるんです。

(質問者)

「セッション」と言ったらカタカナ言葉ですが、お年寄りの人とか、役場関係の人に説明するときに、「健康相談」と言うのは、問題になりますでしょうか?

(永松先生)

そうですね、健康相談。例えば「問診」というふうに呼ぶと問題が出てきますでしょうか?

(小林先生)

問題出てくるでしょうね。

(永松先生)

問題が出て来得ますよね。問題がない言い方だと、「健康相談」という言い方になりますでしょうか。

(質問者)

病院で行われている健康相談は医療行為ですか? 

(小林先生)

一般的に、健康相談というのは医療ではないです。健康相談というのは一般的な話なんです。例えば、肝臓が悪い原因をなくすにはお酒を呑まないようにとか、それが「健康相談」で、その人に限った、特定の病気を治すためのことではない。お医者さんは特定の患者のためのことで聴くわけですよね。健康相談は一般的なことで、医療ではないです。健康相談は、医療のもっと前段階です。

(質問者)

ホメオパシーのセッションが医療行為でないなら、「健康相談」という言葉を使って説明したほうが分かりやすいでしょうか? いいですか?

(小林先生)

お年寄りにはそのほうが分かりやすいでしょうね。ただ、言葉として「健康相談」というのは、ぴったりくるでしょうか?何かちょっと違うのかなという気がするんですが…

(質問者)

他に適切な言葉が見当たらなかったのですが…。

(小林先生)

いい言葉がないですよね。

(質問者)

お年寄りに限らず、田舎の方はもっとホメオパシーの認知度が低くて、「セッションって何?」と、多分言われると思うんです。そのときにどう説明したらいいかわからなくて、みんながわかりやすい言葉でいうとそうなのかな、あと医療行為に当たらないかどうか気になるので。

(永松先生)

英語では、例えばイギリスでは「セッション」とはほとんど呼びません。英語では「コンサルテーション」と呼びます。コンサルテーションというと、直訳的には「相談」という意味ですから、「健康相談」で目的をはずした表現とは言いません。必ずしも法的なことをはずした、法律的なことの配慮におもねった表現ということではないです。

(質問者)

外国のことは分からないのですが、日本ではホメオパスの方があまり多くないので、実際問題としてはクライアントさんとのトラブルというのはあまり表面的になっていないと思うのですが、もっともっとホメオパスが増えてきたら、ホメオパスの認定なんて、いろんな方がおいでだと思うので、様々なトラブルが出てくると思うのですが、その場合外国ではどういった問題が出ていて、実際訴訟になっているのかとか、セッションするにあたって同意書を求めたりするのでしょうか?

(永松先生)

同意書をとるという話はあまり聞いたことはないですが、ただ一部の団体で、やっているところがあるように聞きます。ただ、同意書をとるというのは極めてデリケートな問題で、ものすごく大きなマイナスの面があるので、今のところこちらでは考えていません。同意書をあらかじめとるということそのものが、来られた方に与える影響というか、場合によっては甚大なものがありうるので、今のところ考えてはいないのですが。

おっしゃるように、まあいろんな方がいらっしゃるし、もちろんホメオパスも人間ですから、いろんなトラブルはあり得ます。外国でも起こっているし、日本でも起こっています。それが個人的な形で起こっている、システム的に起こっている、いろんなことがあり得るのですが、こういうことも起こっていて、これはひとつどうにかしなければならないと思っているんですけれども、例えば、糖尿病の方に、「もうインシュリンなんかは止めてしまいなさい」と言う。「ホメオパシーで頑張りましょう」と言う。これはここではなくて違うところでのお話ですけれども、そのお話を患者さんから聞いて、すごくびっくりしたわけですけれども。ホメオパシーによってインスリンを自分で分泌できるようになる、だからすぐやめてしまいなさいと、新薬はホメオパシーのレメディーと反対の作用をもたらすからという言い方で。そうすると血糖値がどんどん上がりますよね。2週間ぐらいして血糖値が500を超えて、ほとんど昏睡状態に近い形になってしまって、気を失って倒れて病院に担ぎ込まれたと、まあそういうふうなケースもあるんです。

実は、このような事態をもっとも懸念しているんです。例えばレメディーの選び方がうまくいかなかったりすることは、これはどちらにしても人間なので100%選べるなんてことはありえない、そんな人は世界中誰もいませんので、そういったことはもう仕方がないことなんですけれども。そういう種類の、単なる無知と無謀による危険な行為、そういうことがあると、当然ながら「医師でない者がやるとこういう危険なことになる」という論法、そういう話にきわめて大きな説得力を与えることになるわけですし、そういったトラブルというものを一番懸念しています。そういうことは起こりえないように、ここではいろんな教育というものをしているつもりですけれど、それがどこで起こったとしても、同じ「ホメオパシー」という名前でそういった問題が起きて、問題化しますと、これは非常に憂慮しなくてはいけないことに当然なるなと、そういうふうに思っています。今心配していることはそういう感じのことです。

例えば外国では、場合によっては例えば協会が、医師でないホメオパスのための協会の中で保険制度がああって、もちろんそういった保険を引き受ける保険会社があってのことですけれども、その中でトラブルがあればその保険会社が、もちろんあらかじめどのようなトラブルが起こりえるかを充分に調査した上でのことでありますけれども、そういった協会が機能しています。ただもちろんそれはホメオパシーの歴史が長い国においてのことでのことであったりしますので、ホメオパシーが認知をされている中の話ですけれども。こちらの方でも、今は具体的には保険会社のことはしていませんが、協会の中で保険制度も設ける、そういう方向性で研究をしている、そんな状態です。

外国ではいろんなトラブルがあって、これはどこでも起こりうることですけれども、例えばカウンセラーの世界でも非常に起こりうることですけれども、1対1の強い信頼関係の中で行うわけなので、そこで俗に言う、いわゆる転移の問題、転移とか逆転移とか、患者さんとの個人的な問題というものが起こる。それを訴えられるということも聞きますけれども。それは日本でも違うところではよく起こっているようにも聞いています。

(質問者)

セッションの内容を録音するというのは、同意がいることですか?

(永松先生)

今のところ、こちらのほうでは同意なしに録音するということは、一切行っておりません。ただ、これもこちらではないことですけれども、同意なしに勝手に録音をされたということで、訴えたいということで、こちらのほうに手紙を送られてきた方というのは結構いらっしゃいます。そのあたり微妙なところで、どちらにしても録音に関しては、例えばなんらかお断りした上で録音をするとか。「慎重にレメディーを決定するために、あとで私が何度か聞き返して、そして慎重に決める必要があるので、録音しても良いですか?」というふうなことで聞くということは、もちろんありうることですし、この場合は同意があるわけですからもちろん問題はないわけですけれども。問題はですね、勝手に録音がはじめられてしまって、なんらか心理的に弱い立場のような感じがしてしまって、そこでは言い出せなかった、しかし後から考えてすごく頭に来た、そんなケースがそれなりにあるので。そんなことが起きている、それを訴えたいだとか、そこの母体になっている協会に手紙を出して言うだとか、そんなようなトラブルの相談を直接受けたことはあります。

(小林先生)

今の録音のことですが、個人情報とか、そういう録音した情報が漏れたとか、そういうことが問題になる場合がありますね。そうすると、皆さんが個人情報の取り扱い業者にあたるかどうかは別として、やっぱり個人情報の関係からいうと、一応同意をとり、保管とか利用方法とか、一応特定しておいたほうがいいのかなと思います。ですからその辺のことは、気をつけたほうがいい。

(質問者)

セッションをするに当たって、ホメオパシーのカルテらしきものを作るのでしょうか?

(永松先生)

そうですね。医師のカルテとは多少スタイルが違うと思いますけれども。

(質問者)

それはやっぱり保管には気をつけているとか、一応何年くらい置いているとか、そういうことは外国ではどのようになっているのでしょうか?

(永松先生)

それは、そこの協会とか個人によって違うと思いますけれども、外国でのケースということですけれども、イギリスのほうの協会では、カルテをどのように保管しているのか、その保管場所の確保、機密性など、実際にセッションが行われている部屋を訪れて、間違いなく安全に保管されていると、それを確認してからライセンスを出すと、基本的にそんなふうになっています。そんなふうになっているところ、団体もあるということですね。そこまでしていない団体ももちろん多いです。

(質問者)

ちなみにこちらの学校では何年くらい保管されているのでしょうか?

(永松先生)

基本的にはすべて持っております。ただ場所の問題もあるので、5年以上、特になんの音沙汰もない方は、保管はしておりますけれども、すぐに取り出す場所ではなくて、ちょっと違う場所に置いてある。そんな感じです。ですので、カルテを破棄するということは、必要性も感じておりませんし、今のところは考えておりません。