01年10月に開催された、日本ホメオパシー振興会主宰・永松昌泰氏による「ホメオパシー入門セミナー」の内容を公開いたします。

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ホメオパシーとは何か?

ホメオパシーの語源

まずホメオパシーとは何なのかと言うことなんですけれども、ホメオという言葉は「似たもの」という意味なんですね。パシーとは「苦しい」とか「病気」という意味なんです。似たものが似たものを治すとそういう意味なんですね。まあ、これはもともとギリシャ語からとった造語といいますか、つくった言葉なんですけども。

日本でも

ホメオパシーの似たものが似たものを治すという原理そのものは自然の中にある原理ですから、たとえば日本でも部分的には使われているんですね。たとえば昔から日本では、のどがイガらっぽくてのどが何か変だという時には、生姜汁を飲むっていうことをおばあちゃんの知恵的な形でやっていたんですけども、生姜汁っていうのはなんでもないときに飲むと喉がヒリヒリしますね。それが、喉がヒリヒリしているときに飲むとすっと治る。とか、たとえば目がショボショボして、鼻がむずむずするっていう時には、ネギを巻くっていうことをやってたわけですね。ネギっていうのはみなさん玉葱をお切りになれば分かるように、まさに目がショボショボして、鼻がむずむずするっていう症状を起こすものなんですね。ですから似たものが似たものを治すっていう風なことは、昔から部分的には行われていました。

似たものが似たものを治す

ホメオパシーの意味は似たものが似たものを治すっていうことなんですが、多少正確に言いますと、似た症状を起こせるものは似た症状を治すことができるっていうことです。もう少し詳しく言いますと、健康な人にあるものを投与して、そしてその症状を起こせるものは、その症状を治すことができるっていうことなんですけれども。まあ、だんだん訳がわかんなくなってくるので「似たものが似たものを治す」と、そういうふうに覚えていただければと思います。この時の似たものっていうのは、どういう意味かというと、似た症状を起こせるもの。単に「似たもの」っていうのと「治る」っていうのは普段なかなか結びつきにくいけども、ホメオパシーではあくまでも似た症状を起こせるものは似た症状を治すことができる。

ヒポクラテス

これは、起源はギリシャ時代のヒポクラテスまで遡るんですけども、医療には二つの方法がある。つまり、似たもので治すという方法と、それから反対のもので直すという方法の二つがある。そして、患者さんに対して、適した時に適したやり方でやるのがいい。これはどういうことかと言いますとヒポクラテスが言う反対のものっていうのは、例えば体が冷え切っている時には暖かいお湯に入る。こういう風なものを反対のものと呼んでいるわけです。これは便秘をしている時に下痢を起こさせるとかそういう激烈な方法を言っているわけではないんです。それから似たものが似たものを治す方法っていうのは、何かある症状があるときに、似たような症状を起こすものを与えると内部的な力を刺激されて、「あ、治さなければいけないんだ」「この問題を解決しなければいけないんだ」という風にその力が発動して、そして治って行くという形になります。これにつきましては、後で病気と症状とは何かについてお話しするときに詳しくお話したいと思います。

ホメオパシーの歴史と現在の世界的状況

起源

少し歴史的なことを申しますと、起源は確かにヒポクラテス、ほんとはもう少し前にも遡るんですけれども、まあ一応の起源はヒポクラテス。そして今の形にしたのはハーネマンという人なんですね。

Dr.ハーネマン

ハーネマンというのはドイツの医師で、二百年くらい前にこのホメオパシーを新しい医学として建設した人です。この方はどういうきっかけでホメオパシーというものを作ったかと申しますと、彼は非常に医学というものに理想を抱いていたわけですけれども、当時の医学というのは残念ながら彼が願っていたような医学ではなかったんです。

当時の医学

つまり当時の医学というのは、ほとんどが瀉血というやり方だったんですね。基本的に病気というのは悪い血によって起こると、だから悪い血を体から出せばその病気は治るというような治療法だったんです。全くでたらめなやり方ではないんですけれども、現在でも一部で瀉血というものはされておりますしね、これはとても効果的な場合もあるんですけれども、当時はそれしかなかったもんですから何でもかんでも血を流して治そうとしてたんですね。ですから残念ながら当時は、瀉血によって治った人よりも瀉血によって亡くなった人のほうが多かっただろうとも言われてるんです。これは非常に暴力的な、とても悲惨なやり方であるとハーネマンはとても失望しまして、しばらく医者を辞めていました。

キナの皮

彼は非常に語学の才能があったので、いろんな外国の本をドイツ語に翻訳して、人類のために貢献しようと思ったんです。で最初に翻訳した本が、当時非常に有名な医者だったカレンという人がいまして、スコットランドの人なんですけども、その人の「マテリア・メディカ」、まあいろんな薬学書ですね、それを翻訳してたんです。その時に彼の目にとまったのがChina(キナ)っていう木の皮なんですけども、これが当時非常に流行してまして、というのが当時非常に恐れられていたマラリアという恐ろしい病気が、このキナという木の皮によって非常に良く治ったということがあったんです。なぜ恐ろしいマラリアという病気がキナの皮によって治るのかという説明があったんですけども、非常に苦いから、だから胃の収斂剤として効くんだと、そういう記述があったんですけどね、彼はこれを見て絶対におかしいと思ったんです。なぜおかしいと思ったかというと、確かにキナの皮は非常に苦いんですけども、苦いものは他にもたくさんあるわけです。彼は非常に実践的な人なので、医者をやってた時にマラリアの患者さんにキナの皮よりももっと苦いものを投与しても全然良くならないっていうことを知ってたんです。だから確かにキナの皮は苦いけども、苦いから効くっていうのはおかしいと。

実験

で彼はどうしたかっていうと、彼はキナの皮を、彼はマラリアではないんですけども健康な状態で飲んでみたんです。そして何が起こったかといいますと、すぐにものすごく発熱をしたんです。ものすごく汗をかきまして、悪寒がして、だんだん弱ってきたんです。で、しばらくするとまた元に戻ったんですね。もう一度飲んでみると、また熱が出て、汗が出て、悪寒がして衰弱するっていうことを繰り返したんです。この発熱と発汗、悪寒、衰弱っていうのは、キナの皮が治すというマラリアそっくりの症状だったわけなんですね。これは何かある、きっと偶然の一致ではないだろうと。彼は非常に病的なぐらい疑い深い人だったので、たまたまキナの皮がそうだったからといって、じゃあ似たものが似たものを治すって言うおめでたい人ではないんですね。だからいろんなものを試してみたんです。いろいろ試した結果、本当にそういうふうになってるっていうことを発見したわけなんです。そういう実験を10年くらいやった後で、新しい医学として、似たものが似たものを治すという原理に則った新しい医学を提唱したわけなんですね。それが現在のホメオパシーの基になったものなんです。

ホメオパシーの発展

それ以降、ホメオパシーは非常に発展したんです。なぜ発展したかって言うと、ものすごく良く治ったからなんですね。当時なかなか治らなかったいろんな病気が治りました。また、有名になったのはナポレオンが遠征した時に、コレラが大流行したんですね。でその時にホメオパシーの治療を受けたけど亡くなった患者さん、またホメオパシーでない普通の治療を受けて亡くなった患者さんを比べて見ますと、もうホメオパシーを受けた患者さんは10分の1くらいしか亡くならなかったんです。これで非常に有名になりまして、フランスではそれ以降ずっと今日まで非常に信頼されている治療法なんです。

イギリスでも

また、イギリスでも1853年にやはりコレラが大流行しまして、イギリス全土で少なくとも数百万人は亡くなったといわれているんですけども、その時もこのホメオパシーは大活躍したんです。これは統計に残っている数字ですけども、その時にホメオパシーの病院で亡くなったコレラの患者さんはだいたい17%、で普通の病院で亡くなった人は53%だったんです。3分の1だったわけですね。そのようにしてホメオパシーはすばらしい療法として、どんどんヨーロッパ、アメリカで広まっていったんです。

現在の状況は?

でも現在日本ではほとんどホメオパシーという療法は知られていないですね。だんだん知られ始めたところですけども、なぜ現在知られていないのか。そんなすばらしい療法だったら誰だって知ったってよさそうなもんだ。この情報社会で、知らないなんてのは絶対おかしいと。なんかインチキなんじゃないのかと思うのが普通だと思います。

19世紀アメリカ

実際にどのようなことが起こったかと申しますと、だいたい1910年くらいまではホメオパシーは流行というか、非常に栄えたんです。と同時に新しい医療として出てきましたから、それまでの医療の人たちは非常に危機感を感じたんです。で、いろんなことがありました。あまり政治的な弾圧だとかそんな話をしますと眉唾だとかそんな感じがしますので申しませんが、たとえば現在のアメリカの医師会っていうのはどのような目的で作られたかというと、はっきりとアメリカの医師会の憲章に書いてあるんですね。ホメオパシーを排除する。これが最初にできた目的だったんです。そのくらい非常に危機感を感じた。それができたのがだいたい百年ちょっと前、1860年か70年くらいにアメリカの医師会はできたんですけども、まあそれはともかくとしまして、非常にホメオパシーは大流行しまして、アメリカの医師の3分の1くらいはホメオパシーの医師だった時代があります。全米にだいたい60くらいのホメオパシーの医科大学というものもあったんです。

現代医学の進歩

その後、20世紀に入りまして、それまで瀉血が中心だった医学というものもずいぶんと変わっていったわけです。たとえばパスツールという人がいて、いろんな病原菌というのがどんどん発見されましたよね。そうしますと、大変解かりやすいわけです。病気というのは病原菌という悪いやつがいて、その悪いやつが悪いことをするから起こるんだと。まあ非常にシンプルで解かりやすいですよね。で、またそれ以降、いろんな医療のテクノロジーが発達して、それから抗生物質。これができた時には魔法の弾丸として、とてももてはやされた。もうこれであらゆる病気が治るんじゃないかと期待が持たれたわけですけども、残念ながらなかなかそうはならなかったわけですが。ともかくも普通の医学というものも瀉血だけではない、方法がいろいろ進化しましたので、普通の医学もどんどん発展して、ホメオパシーはだんだん影に追いやられていったわけですね。ホメオパシーには何の進歩もないように見えた。普通の医学の方はテクノロジーの進化とともにすばらしい発展をしていくように見えたということもあって、ホメオパシーは一時衰退しました。

代替医療

しかしながら、この数十年というもの、あれほど輝いて見えた現代医学というものもだんだん翳りが見えてきたわけですね。残念ながらあんなに華々しくすばらしく見えた現代医学のほうも、治る、一応治ったように見えるのは、感染症というか、いわゆる特定の病原菌というものがあって、それに対して抗生物質とか、対抗するものがあるものに限られる。いわゆる普通の慢性病っていうのは現代医学のほうでもですね、本当に治るっていう事はどうもなかなか無い。いろんな副作用というものはあっても、いろんな投薬をしましてもですね、一時しのぎになったりとか、また違う病気になったりとか、結局根本的なところで治るっていう事はないっていうのが一般の間にも、また医師の側にも広がってきたんですね。医師の側にも無力感といいますか、自分がやってることって何なんだろうと考える人が増えてきたわけです。ですからそういうことも含めて、全体的にいわゆる代替医療といわれるものですとか、まあイギリスでは代替医療という言い方はあまりせずに補完医療という言い方をいたしますけども、そのようなものが少し伸びてきた。そういうことも相まってホメオパシーも20年、30年くらい前からだんだん復活してきました。今日では、ヨーロッパ、アメリカにおいて、ホメオパシーの伸びっていうのは非常にめざましいものがあります。まだまだ主流は現代医学が占めておりますけども、一般の人たちのいろんな要求と申しますか、現代医学ではなくこんな薬ではなくて、もっとすばらしいものに出会いたいという要求が増えてきたこともあって、アメリカ、ヨーロッパでは今、非常に変わりつつあります。

現代医学とホメオパシー

対立?

ただしこれは現代医学を忌避するとかそういうことではなくてですね。ホメオパシーを広めようとする時に「現代医学は敵だ」みたいなことを言うと解かり易いので、そういう言い方をする人もいるかもしれませんけども、いろんな問題も現代医学にはありますけど、ほとんどのお医者さんは非常に良心的で、なんとか良い方法はないかと一生懸命やっていることは事実であって、現代医学の良い所、現代医学は特に緊急医療というのは大変すばらしいものを持っています。ただ慢性病には緊急医療的なやり方を続けるのは無理がありますので、抗生物質を投与し続けるというのは非常に問題がありますのでそこは変えていかなければなりませんけれども。

将来

将来的にはホメオパシーと現代医学は分かれて対立的にあるんではなくて、もっと高度なレベルで統合したものになって行きたいと思っておりますけども、最初の出発としましてはホメオパシーの正しい考え方を広めていきながら、同時に総合的な医療になっていけばいいなと思っております。

病気、症状とは何か?

症状はサインである

ホメオパシーの似たものが似た症状を治すというのは一体どういうことかと申しますと、こんなふうに考えていただきたいんです。我々は生きていますので、生きている力、エネルギーというものがあるんです。そして、何だか病気にするようなエネルギー、病気にするようなものがありますと、我々はそれを外に出していこうとする働きを持っています。その時に「症状」として現れるんです。症状っていうのは嫌なものですが、ありがたいものなんですね。症状っていうのはいろんな意味があります。ひとつは解決しなければいけない問題がありますよということを知らせてくれるわけです。サインなんですね。これは大切なことです。これはどういう形で教えてくれるかというと、例えばそれは心地良い形で教えてくれたとすると、我々はそれを解決しようとするでしょうか。しないですよね。ですからとても嫌な形で教えてくれるわけです。例えば痛みとかね。どこか痛むとこれは何か問題があるっていうサインなんです。

痛みを感じない人

我々は痛みというと嫌なもので、無ければいいなと思いますが、大体世界的にいつも10人くらい、痛みを感じることができない人というのがいます。痛みを感じる能力が無い人なんです。その人たちは生涯痛みを感じることが無い。そうすると「ああ、なんていいんだろう」と感じるかもしれませんが、そういう人たちの平均寿命はだいたい10歳ぐらいなんです。別に病気で亡くなるわけじゃないんです。痛みっていうものを知らないので何をしてもいいように感じるわけです。たいてい3階から落ちて死ぬとかね。例えば骨折はするけれども痛みが無い。何か歩けないなあと思うけれども、何だかわからないからそのままなんです。そのうちに、何でもできるような気がして3階とか5階から飛び降りて、痛くはないけれども死んでしまうわけです。ですから平均寿命が10歳くらいなんですね。これは前にNHKスペシャルでやってたその時の統計の数字だったんですけれどもね。

症状は治癒の過程である

ですから痛みっていうのは非常に重要なサインで、「あっ、痛い」と思って、これはいけないんだと思いますよね。ほんとは非常にありがたいものなんです。でもとてもありがたくない形で表れますので、「ありがたくないありがたいもの」って呼んでるんですけども、それと同時に、症状ってただ知らせてくれるだけではなくて、すでにもう治癒の過程なんです。静かな池を思い浮かべてください。そこに石を投げるとします。石というのは病的なエネルギーというか、我々を何か病気にするようなエネルギーだと思ってください。そこに石が落ちますと波が起こります。波というのは症状なんです。波というのは石が落ちましたよということを表現しているわけです。表現して知らせてくれてるわけです。それと同時に波が起こっていくとだんだん外に広がっていって、静まっていきます。そのショックというものをだんだん外に出していく方法でもあるわけです。症状というのはまさにそういうふうなものなんですね。ですから本当はありがたいものなんです。何かあったときに症状を冒した後で良くなりますよね。その時に症状によって外に出て行かなければならないエネルギーを出していってくれてるわけです。

症状を抑える

このように本当はとてもありがたいものなんですけれども、とても嫌なものですから我々はどうしても症状を抑えようとします。どうしても現代医学がああだこうだと考えてしまいますけども、それは我々自身やはり都合の悪いものは蓋をしてしまいたい、都合の悪いものは忘れてしまいたいという気持ちがあって、それに表面的にマッチするところがあって、そういう方法をとってしまうというのもあるんです。

アトピー

例えばアトピーっていうものがありますよね。アトピーとか皮膚の病気っていうのは本当はいちばん外側のところでいろんな病的なエネルギーとか解決しなければならないものを外に出そうとしているところなんです。とても痒いしとても嫌なものなんですが、本当はとてもありがたいことをしてくれているんです。けれどもその時に、ステロイドを塗ると魔法のように良くなるんですね。あ、こんなにキレイになる、こんなに良くなるんだっていうふうに本当にありがたいなって思うような効き方を最初はしてくれるわけなんですけどね。ステロイドやめたとたんにリバウンドっていう形でもっとひどく噴き出してきたりとか、一時的に良くなってもだんだん効かなくなるということが起こってくるわけですけども、まだリバウンドがあるうちはいいんです。まだ外に出そうという試みをしてますからね。リバウンドもしなくなるとどうなるかというと、これは治ったんではなくて、蓋をされて仕方なくもっと深いところに病的なエネルギーが行ってしまうことなんですね。そうするともっと重い病気の形、もっと重要な部分に病気が表現されるわけです。そうすると、まあ皆さんご存知だと思いますけれども、そういうふうなアトピーが出なくなると、かなりの程度でその後、喘息になりやすいです。これはお医者さんに行きますと、アトピーと喘息は無関係だと言われますが、無関係どころじゃなくて、アトピーを抑圧しようとしたところが、もっと深いところに行ってしまったということなんですね。喘息っていうのは呼吸器系の病気ですからこれも直接命にかかわりますけども、もっと深い病気になったりします。例えばリウマチになったりですとか、膠原病ですとかね。ですから本来出していかなければならないエネルギーはちゃんと解放していかなければならない。そのエネルギーをちゃんと出すことを助けるものがホメオパシーなんです。

ホメオパシーの働き

ですからバイタルフォースって呼んでるんですが、生命エネルギーってものがあって、そこに病的なエネルギーが入っていこうとした時に、生命エネルギーは撥ね返していこうとする。さっきホメオパシーのレメディっていうのは似た症状を起こせるものだと申しましたよね。似た症状を起こせるものとはどういう意味かというと、その撥ね返していく方向性と似たような撥ね返し方のできるものというふうに考えていただきたいんです。例えば普通、病気をした時ですね、良くなる時というのは撥ね返してもそれで良くなるわけですが、なかなか良くならない慢性病のときはですね、ある程度撥ね返すんだけども、つまり症状は出るけども、全部は撥ね返せなくて中に入っていくわけです。この時にホメオパシーのレメディが何をするかというと、似た方向性に撥ね返す働きを持っていますから、中に入っていこうとするものを丸ごと一緒に外に出してくれようとするわけです。ですから似た症状を起こせるものは似た症状を治せるということはどういう意味かというと、まだ中に入っていこうとするものを、それが本来撥ね返そうとする方向と似た方向に撥ね返そうとするものなので、一緒に手を取り合って外に出て行くという感じなんですね。イメージとしては、海で波打ち際を思い浮かべてください。波が寄せては帰りますけども、この小さな波が症状としますが、この小さな波に大きな波がかぶさってきて、ひいていく時に小さな波も一緒にひいていく、そういった感じなんです。本来出て行かなければならないエネルギーそのものが外に出て行ってくれるので、症状として表現される必要がない。だからもう症状は起こらない。症状を抑圧するんではなくて、症状が起こる理由そのものが無くなるので病気も無くなる。これがホメオパシーの似たものが似たものを治すっていう意味なんです。

症状の意味

症状の意味っていうものをちゃんと受け止めることもまた一方で大事だったりするわけです。なぜその症状が出てきたかっていう事をきちんと捉えて、それを根本的な形で解決するっていう、これが本来のホメオパシーの意味なんです。これは判りやすい病気の場合だけではなくて、例えばいろんな家庭内の問題ですとか、対人関係ですとか、いろんな問題がある。これは症状なんですね。本来解決しなければならないいろんな潜在的な問題っていうのが、表面的に現れて来てくれたわけです。ですからそれを、できるだけ本質的な形で根本から、正面からなぜその問題が起こってきたのかというのを捉えて、できるだけ本質的に解決していくというのが、またホメオパシーでもあるんです。

ホメオパシーの本質

最初の出発点としては、ホメオパシーっていうのはどうも副作用が無いらしいし、自然のものだから新薬よりは良いんじゃないかと、だから新薬の代わりに使ってみようということでも十分いいと思うんです。ですけれども、だんだんホメオパシーに慣れてきますと、単に都合の悪いものを出て行けとやるんじゃなくて、もう少し本質的に問題を解決しながらやっていくという、そちらの方にも眼が開かれていきますと、人生そのものも変わってきたりするわけです。確かにホメオパシーは病気が良くなったりするんですけども、我々が何のために生きてるかって言うと幸せになるために生きているんです。その幸せになるっていう中に健康ということもあるんです。より幸せになるっていう中に病気が治るっていうこともあるわけなんですね。ですから本来ホメオパシーのレメディがすることっていうのは、単に病気を治すというだけではなくて、我々を苦しめているいろいろな問題を本質的に解決することを助けてくれるものでもあるんですね。そういう力を持っているということも頭の中に入れておいて欲しいと思います。

子供への処方

レメディの選び方

それでは子供への処方について少しお話しようと思います。子供への処方は一番関心の深いことのひとつだと思うんですけども、同時に一番難しいことのひとつなんですね。

推薦してる本の中に「ホメオパシー治療薬」という本があります。この中に子供の体質治療薬っていうものがありまして、そこに6種類のレメディが載っているんです。で、そこにいろんな特徴が載ってまして、そして大抵、お母さん方でしたらご自分の子供のことはご自分が一番良く知っているから、これを見れば大体判るだろうと思われると思うんです。結構耳にするのはこれを見ると途方にくれるっていう方もいらっしゃるんですね。これもあれも、全部当てはまりそうだって言うわけです。確かにいろんな症状を見ていくといろんなものに当てはまって、なかなか難しいんですね。今までの経験でお話しますと、お母さん達が息子や娘にこれだと選んだレメディは、私が診させていただいて選んだレメディと一致したっていうことはほとんど無いんですね。残念ながら1割あるかないかなんです。たった6種類しかないのに、まあ私が思ってるレメディが必ずしも正しいとは限りませんけれども、少なくとも一致したってことが僅かしかないっていうのはとてもびっくりすることだと思うんです。これはやはりお母さんていうのは子供に対して、当然ながらいろんな期待とか願望がたくさんありますので、ありのままが見えにくいものなんです。あまりに近すぎるとかえって見えにくい。だからある程度距離を置いて見ることが必要なんですけども、でもお母さんの役割っていうのは距離を置いて見ることではありませんよね。お母さんの役割っていうのは子供を愛情をかけて育てていくことですからね。ですから、必ずしもお母さんが子供のレメディをちゃんと判る必要は本当はないわけなんです。ですからそこを悲観される必要は全くないんです。

ひとつの方法としては、「これではないだろう」と思うレメディが結構それだったりするので、これではないだろうと思うレメディを試してみるというのもいいかも知れません。まあ半分冗談なんですけどね。これまでの経験では、お母様がこれかな、あれかなと3種類か4種類おっしゃるそれ以外のレメディの場合が多いんです。とても不思議なんですけど、説明して「ああ、なるほど」ということが多いんです。ですから、自分の思ったレメディを試してみて、もし違っているようなら、考えていなかったレメディを試してみるのもひとつの方法かもしれません。

それはともかく、この本の中には6つの大きなレメディについて書いてあって、大抵のお子さん達はこの6種類のレメディの中に概ね入るわけなんです。

Calc-carb(カルカーブ)

カルカーブというレメディがあります。これは牡蠣の殻からとったレメディなんです。これは特に「生まれる」っていうことにとても関係のあるレメディなんです。牡蠣というのはとても柔らかい。で、牡蠣は真珠のとれる貝の仲間なんですけども、このカルカーブっていうレメディの中心には何があるかと申しますと、生まれてくるときに、お母さんの羊水の中で極楽極楽という気分であった子供が、この世の中に半ば無理やり押し出されてこなければならない。そしてこの世の中に対応していかなければならない。その時に、いろんな形で自分を守っていかなければならない。内側から、あるいは外側から自分を守っていく、そういうテーマがカルカーブにはあるんです。だいたい生まれてから1歳くらいまでの子供の場合には、そのお子さんがどんなお子さんがどんなお子さんであったとしても、カルカーブ的な状況なもんですから、擬似的に1歳くらいまでのすべての赤ちゃんは、カルカーブだと思ってかまわないです。何があってもカルカーブを処方する、例えば熱があっても、怪我をしても、風邪をひいててもカルカーブを処方するっていうのも良い方法なんです。とても簡単ですよね。カルカーブだけ持ってれば大抵のことは対処できる。もしもそれで良くならなかったら違うことを考えるのもいいんですけども、9割くらいのことはこのカルカーブでうまくいきます。

カルカーブの子供は、ちょうど牡蠣の身のように色が白い、ぽっちゃりとした、絞ったら水が出そうな感じの、少し水ぶくれ的な感じのある人が多いんですけども。非常にマイペースと申しますか、自分のペースできちんきちんとやっていく、そんな性格の人が多いです。カルカーブの中心は「マイペース」です。非常に着実に成長していく。マイペースなので親から見ますと結構のろまに見えたりするんですけど、これは禁物なんです。というのは子供は自分はのろまだとは決して思っていなくて、ひとつの事を確実にやっていこうとしているだけなんですけども、それをのろまだとか、「早くしなさい」と言われると結構カッと来るんですね。で非常にその後いろんな問題が起こりやすいんです。

カルカーブの子供にカルカーブを与えると、マイペースは変わらないんですが、とてもうまくマイペースにやれるようになります。これは親から見ても、のろまっていう感じではなくなってきて、安心して着実にいろんなことをこなしていく子供になりやすいです。

Lycopodium(リコポディウム)

リコポディウムの中心は「非常に自信がない」っていうことなんです。非常に自信がなくて臆病なんですけども、子供のころは割りと臆病な感じがそのまま出ているんですけど、人間は臆病なままでいるっていうのができないというか、代償作用というか虚勢を張るようになるんですね。で、外側から見ると傲慢に見える。特に大人なんかには多いんですけどね。

リコポディウムの子供は基本的に自信がない。人前で何かするのを非常に恐れたりします。ですが基本的に能力はとても高い。何故かと申しますと、自信がないので努力をします。努力をすると人間伸びますからね、ですから結構能力が高い人が多いんです。虚勢を張ったりするわけですが、内側では心は打ち震えているという感じです。大きな特徴としては、お腹にガスが溜まりやすい。胃腸というか消化器系が弱いんですね。いろんな心配なところがストレートに胃に来ます。

リコポディウムというのは、植物のコケスギなんです。ヒゲノカヅラっていいますけど。これは昔は高さ30メートル位にもなった巨大なものだったんですけど、今の石炭の材料はこのコケスギだと言われてますけど、今はほんとに小さいというか、1メートルくらいのものなんです。擬人法的にいうと、大きな杉になるはずが、途中でいじけてコケになっちゃったというふうに、半分冗談ぽく言われるんですが、そのような心持ちっていうのがリコポディウムなんです。

このリコポディウムの人というのは、努力もしますし、大きくなって先生と呼ばれる人になりやすいですね。学校の先生もそうですが、弁護士の先生とか、国会議員の先生とか。先生と呼ばれる人というのは、割と態度もでかいし、傲慢ですよね。だけど心の中では臆病だったりするわけです。まあ、うまく成長すると非常にいろんなことをわきまえた、大きな会社の社長になったりとか立派な人になることもあるんですけど、なかなか傲慢な感じがして、人から誤解されることもあります。

Nat-mur(ナトムール)

ナトムール、これは塩ですね。塩というのは舐めると苦いです。苦さというものがこの塩のレメディに非常に関係しています。特徴というのは、中にある心が非常に傷つきやすくて、あまりにも傷つきやすいので自分の周りに壁を作らざるを得ない。そして自分の感情というものをうかつに外に出さないです。ですから、ちょうどダムができるようなものです。自分の感情をなかなか出さない。例えば塩の横に水を置きますと、塩が水を吸います。水というのは象徴的に言いますと涙といいますか、この涙が、ダムがありますから外に出さないでだんだん溜まっていきます。出さないですんでいるかというと大間違いで、本来人間にはダムなんかないわけです。ですからそのダムがいろんな症状を起こします。このナトムールの人というのは、苦い過去の思い出や納得できない出来事に非常にこだわっていきます。いつまでもこだわっていて、あの時にこうだったらとか、くよくよします。過去の出来事に閉じ込められているような状態になっているわけです。

特徴としましては、塩ですから、しょっぱいものをとても好きか、嫌いか、どっちかです。直射日光に弱くて、太陽にさらされるとできものができたりとか、いろんな問題が起こりやすいです。

簡単に言いますと、「塩漬けにした悲しみ」というものがナトムールの中心的なテーマというか、エッセンスと考えていただければと思います。そういうものが身体的にも表現されて来るんだということですね。

他のレメディもそうなんですが、単にいろんな症状を見るだけではなくて、一番大事なのは、中心にあるテーマというか、中心にあるエネルギーというか、それがいろんな形で身体的に表現されたもの。ですからナトムールの人というのは必ずこのような症状を持っているというのではなくて、このようなエネルギーは、このような症状に表現されやすいというふうに考えてください。

Phosphorus(フォスフォラス)

フォスフォラス。これは燐なんですね。燐というのは燃えますよね。ボーっという燃え方をします。あまり輪郭がない、つまり燐の場合、どこまでが火なのかはっきりしない。フォスフォラスの人というのは、他人と自分の間にあまり境がない。他人と自分の間にことさらに境を作る人もいますが、フォスフォラスの人はその逆で、他人と自分の間に境を作らない、開いているわけですね。開いているので、人との愛情の交換、愛情の循環というものをとても必要としているんです。たいていは明るくて外交的な人が多いです。一緒にいてとても楽しい人が多いんです。その代わり自分はどんどん与えるんですけども、人からはそんなに返ってこないのが普通ですので、そうするとだんだんくたびれてきます。ですからフォスフォラスの人は疲れやすい人が多いです。

人に好かれやすいというと、この後のプルサティラというレメディもそうなんですが、同じ明るいといってもどこからその明るさとか優しさが出てくるかというのは、その元のエネルギーが何なのかということによってみんな違うわけです。自分の子供が明るいから、じゃあフォスフォラスというと、どんなレメディも明るさは持っているわけです。まったく明るい顔をしたことがない人は誰もいないですよね。みんな明るさを持ってます。みんな悲しみを持っています。さっきナトムールの話をしましたけど、悲しい思いをしたことがない人います?誰もいないですよね。だからといって、じゃあみんなナトムールかというと、そうではないわけです。

人に例えると、その人のイメージが固定化してしまうので難しいところがあるんですけど、例えば亡くなったダイアナ妃、彼女はフォスフォラスの要素がとても強いです。ダイアナ妃が結婚された後、しばらくたってから不倫の噂が立って、ご自分でも不倫を認められましたけども、不倫といってもいろんな不倫があるわけです。ダイアナ妃がフォスフォラスとすれば、フォスフォラスの人はエネルギー交換というものを非常に必要としている。ですから最初にはチャールズ皇太子とのエネルギー交換を求めたわけです。とても理想的な結婚に見えて、全世界に祝福されて、幸せになるかと思われたんですけれども、残念ながらチャールズ皇太子とは、必要とした愛情交換、愛情の循環というものが作れなかったわけです。ですからダイアナ妃は非常に絶望的になって自殺をしようとしたりとか、いろんなことがあったようですけども、結局死ぬことはできない。そうすると生きていくためには他の人との愛情の循環が必要となってくる。ですから不倫といえば不倫なんですが、あれ以外はダイアナ妃は生きていくことができなかった、もしフォスフォラスとすれば。

たいていはフォスフォラスの人というのは、理想的には家族の間にまず愛情の循環があるわけですけども、必ずしも家族の間にエネルギー交換ができない場合もあります。その場合には、家族にはほとんど無関心になって、自分がエネルギー交換をできる人とだけ交流をします。

Pulsatilla(プルサティラ)

プルサティラというレメディは、おきな草といわれる植物なんですけど、英語ではWind Flowerといわれて、名前のとおり柔軟性があって風にふわふわ揺れる植物なんですね。このプルサティラの主題というか、一番中心にあるのは「見捨てられることへの恐怖」なんです。見捨てられたくない、見捨てられないためには何でもする。ですから、通常はとても人に対して優しいです。なぜかというと、優しいってことは見捨てられないための非常に都合のいい在り方なんです。ですから通常人に優しくて、人に良く合わせます。ですけれども、その奥には見捨てられることへの恐怖があるわけです。プルサティラの人は非常に病気がちなんです。いろんな形で病気が起こることがとても多いです。いろんな症状が起こりやすいです。それは今言ったテーマと非常に結びつくことなんです。なぜかというと病気になるってことは、ある意味見捨てられないための非常に都合のいい在り方ですよね。病気になると人は心配してくれますよね。といってもわざと病気になるということとは全然違います。これは仮病ではない。この人の中に、病気になるっていうことに対しての抵抗が無いわけです。病気になるっていうことは、この人にとっては割りと好ましい方向性なんですよね。だからいろんなことがあったときに、割と簡単に病気になる。その人の存在のあり方がそのような方向性を向いているということなんですね。だから無意識のところで、結果として病気になりやすいんです。ただプルサティラの人というのは、単にひ弱とか甘えん坊ではないんです。見捨てられることへの恐怖、この恐怖というのは非常に強い感情ですよね。ですから実はプルサティラの人というのは、非常に強いエネルギーを持っています。ぽきっと折れない柔軟な強さを持っています。また、見捨てられることへの恐怖ですから、見捨てられないためには何でもするところもある。極端に言うと見捨てられないためだったら人殺しまでやる。そのように非常に強いエネルギーを持っています。たいていは優しい感じのことが多いですけれども、人によっては、少し難しい言い方をしますと「支配的な形で人に依存する」という人もいます。非常に人に対して威嚇的で命令的なんだけども、「お前は私を見捨てるのか」という悲鳴が、実際にはそこにあって、プルサティラの典型と全く反対に見えるけれども、実はプルサティラであるということもあるので、非常に注意が必要なところです。

反対というのは、実は本当の反対ではなくて、そのグループの中に入るわけなんです。例えば、リコポディウムのところで言いましたけれど、臆病な人というのは大抵、傲慢な形になるんです。自信のある人は傲慢になる必要はないんですが、自信がないとそれをカバーしようとして反対の形をとるんです。ですから、反対のものというのは、実は似たものなんです。人間ていうのは非常に奥深いもので、いろんな反応をするもんですから、本に書いてあるのは原型で、実際はいろんなバリエーションがあるわけです。

プルサティラの人は同情されることを非常に好みます。これに対して、ナトムールは通常、人から同情されることをとても嫌います。なぜかというと「私の悲しみをあなたに解かるわけがない」という思いがあるからです。それから、同情されるっていうのは、屈辱的な感じがあるわけです。だけど逆もまた真なりで、ナトムールの人は同情が絶対嫌かというと本当はそうではなくて、自分の気持ちをわかって欲しい人には、ものすごく同情して欲しい。

Sulphur(サルファー)

サルファー。硫黄です。硫黄というのはどんなところで取れるかというと、火山の近くで取れます。地下深くから熱いマグマがだんだん地表に出てきて、ゆっくりと冷やされて結晶になるんですね。それが硫黄なんですけれども、硫黄というのはもともと熱い。サルファーの人はエネルギッシュで情熱的です。熱いマグマのように情熱を持っています。と同時に、自分の興味が持てること以外は全然興味がもてない。本質的に大事だと思えることだけを大事にします。だからサルファーの人というのは大抵お風呂が嫌いです。なぜかというと、お風呂はその人の人間の本質に関係ないから。とてもめんどくさがり屋です。サルファーの人はある意味では無神経なんですが、実際にはとても感受性が強く、いろんなことを感じる能力を持っているんです。非常に繊細なんだけども、それは自分が興味があることだけに向けられる。興味がないものに対しては、神経を使わないという意味で無神経なんです。

それから、午前11時くらいに、いろんなエネルギーが悪化したりする。なぜか?お腹が減るからです。非常にわかりやすい、そういう特徴があります。基本的には健康です。健康上の問題で親を心配させたりすることはあまり無いです。

根本レメディの処方

この6種類というのが基本的なレメディで、いろんなレメディが約3,000種類くらいあるんですけども、どんなレメディもだいたいこの6種類からの枝分かれのようなものだと考えてください。生まれたときはカルカーブなんです。1歳くらいまではカルカーブだと考えてかまわなくて、それからだんだん枝分かれしていって、6つぐらいに分かれる。そこからまた、さらに枝分かれしていくというふうに考えていただければいいと思います。どんな症状が起きても、根本体質のレメディが判ったら、そのレメディを飲ませるとたいてい治ります。そして、問題があっても無くても関係なく、1ヶ月に1回くらいその体質のレメディを飲ませると、非常に病気になりにくくなります。正しい意味での予防です。体が強くなることによって、いろんな病気にかかりにくくなるということなんですね。

予防接種

ホメオパシーによる予防

概略的なことだけ、結論的なことだけお話いたします。まず、ホメオパシーで、レメディによって実質的に予防接種といわれるものに代われるような予防ができます。やり方はいくつかありますけれども、ひとつは根本体質的なレメディを飲むことによって、その人があらゆる病気から非常にかかりにくくなる。病気というものは病原菌があれば自動的に病気になるわけじゃない。今ここにもいろんな病原菌はうようよしているんです。たとえば結核菌があるとします。同じところにいても結核になる人とならない人がいる。また、寒いとすぐ風邪を引く人がいますが、寒さが自動的に風邪を起こすわけではない。寒くてもぜんぜん風邪を引かない人もいます。難しく言うとその人の「存在のあり方」と言いますが、人はまん丸ではなく強いところ弱いところがあり凸凹なわけです。その病気と縁を持っているような凸凹にちょうど病気が当てはまってしまって、病気になるわけです。ですからそのような病気とか病原菌と縁を持ちにくくなるように、より丸くなるように凸凹を減らしていく、これが一番正しい予防なんです。じゃあ、いろんな病気が流行っている時はどうするか。そうした時に、いろんな病気に対する罹った時のレメディがありますが、たとえば大流行している時にはその治療薬をあらかじめ飲むと、その病気に非常に罹りにくくなります。これは予防接種をうつよりも、ずっと確実にその病気に罹りにくくなります。

予防接種の問題点

予防接種の話を多少しますと、予防接種というものにはその言葉が持つほどの力は残念ながらありません。結論だけ申します。予防接種をうてば本当にその病気にならないのかというと、実際にはそうではないです。予防接種によるいろんな副作用があります。残念ながら亡くなってしまったとか、うった途端に左腕がまったく動かなくなってしまったとかね。これは強制的な介入ですから、強制的というとまだ言葉が柔らかいですが暴力的な介入ですから、非常にそれによる問題はたくさんあるわけですけれども、なにより、それは予防の確実な方法ではないのです。もうひとつ、予防接種をすると何が起こるかというと、ワクチンは特定の病気になりにくくします。絶対にならないというわけではまったく無いけれど、確かになりにくくはします。しかしその時に体の免疫機能というものが、その特定の病気にならないように全部集中してしまうんです。その結果、トータル的には逆にほかの病気になりやすくなる。全体としての健康状態がアンバランスになって損なわれるということなんですね。ですから全体の生命エネルギーはかえって弱ってくるということがあるんです。

家族の問題

家族の問題はとても難しいことのひとつなんです。なぜかというと、家族とか付き合い、いろんな人間関係の問題というのは自分自身もその問題の一員だからなんです。我々は「あの人がこうだから、家は(会社は)こんなふうになるんだ」と、どうしても考えがちなんですけど、本当はそんなことないんです。自分もまたその問題の一員なんです。そこをよく忘れがちで、「あの人を良くするレメディはありませんか」とかね、何か病原菌を退治するみたいにね、その人さえ変えればすべてはうまくいくと思いがちなんですけど、本当は自分自身がすべて関係しているんです。家族の問題については、一番良い方法というのは、誰が悪いというのではなく自分もその循環の一員なので、自分が変わるだけでいろんなことが変わってくることなんです。だから自分を変えないで他人を変えようということではなくて、まず自分が変わったら知らない間にその人も変わってきます。たとえば、姑と問題があるとします。当然いつもその人のことが気になってますよね。険悪になったにしても、知らんぷりするにしても、その人の意一挙手一投足がものすごく気になりますよね。もし姑さんが自分に対して優しく微笑みかけてきて、優しい言葉をかけてくれた場合と、あいかわらずツンツンした場合と、自分の中に起こることは同じですか。違いますよね。たとえすぐには優しく対応できないとしても、自分の中に何かが起こるはずです。同様に、自分が変わったら、相手に瞬間的に何かが起こるはずなんです。その瞬間には感じられなくても、それが起こり続けるうちになんだか変わっていくはずです。これには例外はあり得ない。完全な因果関係というものがあるわけなんです。
自分のあり方が、自分に何が起こるかということをすべて決定しているんです。