ハイゼンベルグがドイツで何をしたのか。これは戦争が終わって、ハイゼンベルグはね、逮捕されました。連合軍によってね、逮捕されて、そして何をしたのかっていうことを調べられた。そしてその研究所のね、いろんなその研究の記録も全部調べられた。でね、そのアメリカ軍たちはどう思っていたかっていうと、ハイゼンベルグほどの人間だったらね、もうほとんど作るとこまで行ったに違いないと思ったんです。なぜかって言うと、その原爆を作ったアメリカ人たちよりも、ハイゼンベルグの方がずっと優秀だったからです。だから、もう当然ね、すぐ近くまで行っているというふうに思っていた。

で、書類をずっと調べたんです。そうしたらいくら調べてもね、なかなかその原爆に近い所まで行っているような、そういう書類が出てこない訳です。出てこない。でね、何も知らないそのアメリカの若い物理学者たちはどう思ったかって言うと、なんだ、ハイゼンベルグっても全然大したことない。昔はちょっとしたもんだったかもしれないけれども、全然大したことない。つまらない科学者だ、と思ったんです。でもハイゼンベルグをよく知る人たちはね、そんな馬鹿なことはないだろうと考えた訳です。これはいったいなぜなんだろう。 それが分かったのはずっと後なんです。ハイゼンベルグが実際何をやっていたかっていうと、彼はね、一生懸命原爆の研究をしているかのように、とても精力的に活動をしていました。そしてね、絶対に原爆の製造に行かないようコントロールしながら、いろんなことをただやっていた訳です。で、彼が責任者だったのでね、全部その彼の一存のもとでいろんなことが行われていましたが、原爆の製造に向かうようなことは何一つ彼はさせなかったんです。そして気楽にね、毎日とても楽しくおしゃべりをしていたんです。で、いろんなことについてね、表向きはとても精力的にやっているようなふりをしたんです。でも決して原爆の製造へは行かなかった。

もしハイゼンベルグがそこにいなかったら、例えばね、もっとずっと度量の小さい、いわゆるちょっと頭のいい人がそこに座ったんだったら、もうどんどんどんどん原爆の方に行ったに違いない。でもそこにね、ハイゼンベルグがいて、非常に、その何て言うんでしょうかね、とても大きなね、その志というか、何て言うでしょうかね、まあ随分と苦しんでね、結局こうするしかないというふうに考えたんだと思うんです。で、誰にも文句言われないように、本当に研究しているふりをした。何をしているのかっていうことはね、これは結局、外からは分かりません。ハイゼンベルグが責任者っていうと誰も文句は言えない訳です。彼が、いやもう近いとこまで行ってますっていうと、ああそうなのかっていうことになるんですよね。だけれども、いわゆる原子核についてのいろんな研究っていうものはね、それなりにしておりました。原爆につながるようなね、そのような報告書がくると、彼はね、握りつぶして何もその後しない訳です。そうやって三年間過ぎました。結局そういうことが明らかになった訳です。

なかなかね、こういうことはできないことだと思います。ただね、要するに単にただアメリカに逃げるとか、私はこういう国は認められないと、まあ格好よく言って、アメリカに逃げて、そしてね、戦後になったらまるで凱旋将軍のように帰ってきて、何かすごく威張って何かするとかね、いうふうなことは彼にはとてもできなかった訳です。それは、そういうふうなことが間違っているということでは必ずしもなくてですね、そういうふうな人もたくさんいて、別に彼等が間違っている訳じゃないんだけども、ハイゼンベルグはね、それは自分のすることではなくて、彼はやはり自分の国に留まって、そしてね、自分の国がどうなっていくのか、その戦後のドイツがどうなるのかを見ようとした。彼にとっては、ドイツの国に留まり続けるっていうことがない限り戦後のドイツを考えることはできないっていう、そういう考え方だったんですね。 ただですね、そういう時に、いろんな行動を取る人たちがいて、まあアメリカないしどこかに逃げる人もいました。まあもちろん、逃げないと殺される人はね、また別ですけれども、外国に行って、そして戦後に凱旋する。それはそれなりに格好いい話なんですけれども、そのような人たちも、もしかしたら必要だったと思います。いろんな人たちが必要なんだろうと思いますけれどね、だけれどもこの話を知ってからは、やはり自分の国でね、それを全て受け止めるという基本的な姿勢ということに、非常に深く感銘を受けたということがありました。

 

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