それから二番目の質問は…何とおっしゃいましたかね、ああ、「稠密(ちゅうみつ)についてでしたね。私もしゃべりながら眠くて分かんなくなってきたんですけど(笑)。

例えば今ここに、数直線があるとします。このお話はね、「連続性」ということの定義になってくるんですが、実はね、有理数だけだと、数字は連続しないんです。連続しません。なので、有理数も無限にたくさんあるんですけど、直線のすべての箇所を有理数だけで埋めることはできないんですね。で、その有理数の密度はね、いくらでも細かくすることはできるんです。しかしまあ、言ってみれば有理数というのは「デジタル」で、その精度はどこまでも行くけれども、厳密にいうと連続をしないわけです。例えば「1」と「2」の間を考えるとしますね。そうしますと1.111111…とか、1.782695…とか、「1」と「2」の間にも無限に数があります。しかし無限というのは、例えば小数点以下を1兆桁まで細かくしていっても、じゃあその次の桁はどうなるんだっていうふうにね、いつも次の桁があるんです。有理数というのはどこかで確定してしまう数字ですから、どうしても数字と数字に「間」ができてしまうんです。この「間」というのは、いくらでもその精度を高めていくことはできるけれども、これは連続をしない訳なんです。もちろん、そのね、密度はいくらでも任意に1兆の1兆の1兆の…もうどこまででも密度は高められるけれども、どんなに高めたって、それは最後に確定して終わってしまうので、だから連続できないということです。必ず、次の数字までの間にギャップができるということです。

じゃあこれは何かっていうと、まさに「隙間」なんです。「隙間」ですから、結局ね、この数直線っていうものは、「合理」である有理数と、「非合理」である無理数が、融合して初めて「隙間」なく連続するっていうことなんです。でこの時ね、「稠密」の意味っていうのは、「連続ではない」っていうことを表しているんです。連続はできませんよ、だけどもいくらでもその密度を、 その精度を高めることはできますよと、そういう意味です。

で、この数直線は完璧に連続しています。有理数と無理数が合わさったものとしてね、この数直線で完璧に表現される。数学的には、この連続性の証明というものがね、ある訳なんですけれど、それが最初にお話しした、「無限とは何か」「連続とは何か」「極限とは何か」「限りなく近付いていくっていうのはいったいどういうことなのか」っていうことにつながるんですね。だからそれを勉強した時に、非常に面白かった訳なんです。

もちろん、先生がこういうふうに教えてくれた訳じゃないんです。ただ、聞いているうちにね、なるほどなるほどというふうに思って、まあつながってきたことなんですけどね、自分の中で勝手にね。だから、この宇宙というものは、この「合理」だけだとね、単なるデジタルなんです。埋まらない。だけども、有理数だけでは数直線を書くことができないように…有理数は有理数だけで存在できるわけじゃありませんからね、この「非合理」な無理数があって初めて、有理数があるわけなんです。だから、ちょうどね、これが雄で、こっちが雌なんです。男性性と女性性。どちらも、その両方が完璧に融合して、相補的にあい補いあって、一つの完全なるものというものをね、作っている訳なんです。

何かご質問ありますか。はいどうぞ。

Q:質問というよりも、自分で先生のおっしゃっていたことを日常生活にちょっと当てはめてみたんですね。そうしたら合理数っていうのは、まあルールみたいなもので、非合理数っていうのは、宇宙的な部分かなっていうふうに考え、何となく思ったんですよ。で、非合理性って言うことなんですけれども、さっき一番最初に先生が、「これはこうなんだけれども、ちょっと違うんだよね」っていうふうにおっしゃいましたよね。会社の中でも、結構「こういうふうに思っているんだけど、本当は違うのよね」っていうことが多いんです。私は連続性ということはコミュニケーションだと感じていたんですけど、その「ちょっと本当は違うのよね」ということが連続していくと、そうしていくうち何となく伝わっていくっていうか。でもやっぱりさっき合理数って言われる部分みたいな、ルール的なもの、生きていく上の必要的なもの、会社だったらこういうルール、家族だったらこういうルール、みたいなものがあって、それに基づいていろいろしていくんだけれど、結局その中には入らないというのが非理論、何かちょっとよく分からない、言い表せないんですけど、哲学的にとか、何かその数学的にとかっていう部分から私が発想した部分は何かそんなふうに、日常生活に持っていくといいのかなっていうふうに感じたんですよ、それで良かったでしょうか。

あの、とてもすばらしい考えだと思います。そういう時の考え方はね。そしてそれは、まさにその通りだというふうに思っています。で、そうですね、まああえて言うとね、例えば「隙間」っていうのは、ある種以心伝心ですね。で、有理数的な、合理的な方は、言葉を立てるんですね。で、結局はね、本当は両方必要なんです。言葉を立てることも必要です。なぜ必要かっていうとね、まさにこの言葉を立てることによって、「そうなんだけど、でもちょっと違うかな」という、その「ちょっと違う」ということが引き出されるからです。それを引き出すために、合理を立て、言葉を立てることが必要なんです。

だから、例えば馬鹿正直というのは、単に言葉にとらわれることですね。こう言ったからそうなんだと。本当は言葉っていうのは、それだけのことではない訳で、まさに結局…そうですね、さっきコミュニケーションのことだっていうふうに言われた、まさにその通りだと思います。本当にありのままのことが、連続してありのままに入ってくるためには、単なる以心伝心、もしくは当て推量と言うか、それだけでもやっぱり駄目で、これはこれでもちろん、両方お互いにお互いを必要としているっていうことですね、また、お互いがお互いを呼んでいることでもある訳ですね。その通りだと思います。

 

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