森羅万象セミナー

第3回 §2

さて今日は、まずこの、小林秀雄の「当麻」について詳しくお話をしていきたいと思いま す。読み飛ばせるところと、じっくりと読んでいかなければいけないところとありますけ れども、66ページの「当麻」からですね。ゆっくりと読んでいきたいと思います。そし て、解説が必要な所で止まって解説いたします。

当麻 梅若の能楽堂で、万三郎の当麻を見た。 ぼくは、星が輝き、雪が消え残った夜道 を歩いていた。なぜ、あの夢を破るような笛の音や大鼓の音が、いつまでも耳に残るので あろうか、夢はまさしく破られたのではあるまいか。

この、「夢はまさしく破られたのではあるまいか」という所、まあここはまた後で、つな がってきます。

白い袖が翻り、金色の冠がきらめき、中将姫は、いまだ目の前を舞っている様子であっ た。それは快感の持続というようなものとは、何か全く違ったもののように思われた。あ れはいったい何んだったのだろうか、何んと名付けたらよいのだろう、笛の音といっしょ にツッツッと動き出したあの二つのまっ白な足袋は。いや、世阿弥は、はっきり当麻と名 付けたはずだ。してみると、自分は信じているのかな、世阿弥という人物を、世阿弥とい う詩魂を。突然浮かんだこの考えは、ぼくを驚かした。

まあここまではね、いいと思います。

当麻寺に詣でた念仏僧が、おりからこの寺に法事に訪れた老尼から、昔、中将姫がこの山 に籠り、念仏三昧のうちに、生身の弥陀の来迎を拝したという寺の縁起を聞く、老尼は物 語るうちに、かつて中将姫の手引きをした化尼と変じて消え、中将姫の精魂が現れて舞 う。音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫び声のようなものとなり、踊りは日常 の起居のようなものとなり、歌は祈りの連続のようなものになってしまっている。そし て、そういうものが、これでいいのだ、他に何が必要なのか、とぼくに絶えず囁いている ようであった。音と形との単純な執拗な流れに、ぼくはしだいに説得され征服されていく ように思えた。最初のうちは、念仏僧の一人は、麻雀がうまそうな顔付きをしているなど と思っていたのだが。

ここもまあ、とりあえずいいと思いますけれども、ここでは「音楽と踊りと歌との最小限 度の形式」、「音楽は叫び声のようなもの」、「踊りは日常の起居のようなもの」、「歌 は祈りの連続のようなもの」、そして、「これでいいのだ、他に何が必要なのか」、「音 と形との単純な執拗な流れ」、この辺にまず注意をして下さい。

老尼が、くすんだ菫色の被風を着て、杖をつき、橋懸りに現れた。まっ白な御高祖頭巾の 合い間から、灰色の眼鼻を少しばかり覗かせているのだが、それが、何かが化けたような 妙な印象を与え、ぼくはそこから眼をそらすことができなかった。わずかに能面の眼鼻が 覗いているというふうには見えず、たとえば仔猫の屍骸めいたものが二つ三つ重なり合 い、風呂敷包みの間から、覗いて見えるというふうな感じを起こさせた。なぜそんな聯想 が浮かんだのかわからなかった。ぼくが、漠然と予感したとおり、婆さんは、何にもこれ と言って格別なこともせず、言いもしなかった。含み声でよくわからぬが、念仏をとなえ ているのがいちばんましなんだぞ、というようなことを言うらしかった。要するに、自分 の顔が、念仏僧にも観客にもとっくりと見せたいらしかった。

そうですね、まあここも前半は特にはいいと思います。まあ念仏をとなえているのがいち ばんましなんだぞ、要するに、自分の顔が、念仏僧にも観客にもとっくりと見せたいらし かった、まあこの辺ですね。

もちろん、仔猫の屍骸なぞとばかばかしいことだ、と言ってあんな顔を何んだと言えばい いのか。間狂言になり、場内はざわめいていた。どうして、みんなあんな奇怪な顔に見入 っていたのだろう。念の入ったひねくれた工夫。しかし、あの強いなんとも言えぬ印象を 疑うわけにはいかぬ、化かされていたとは思えぬ。なぜ、眼が離せなかったのだろう。こ の場内には、ずいぶん顔が集まっているが、眼が離せないようなおもしろい顔が、一つも なさそうではないか。どれもこれもなんという不安定な退屈な表情だろう。そう考えてい る自分にしたところが、今どんなばかばかしい顔を人前に曝しているか、ぼくの知ったこ とでないとすれば、自分の顔に責任が持てるような者はまず一人もいないということにな る。しかも、お互いに相手の表情なぞ読み合っては得々としている。滑稽なはかない話で ある。いつごろから、ぼくらは、そんなめんどうな情けない状態に堕落したのだろう。そ う古いことではあるまい。現に眼の前の舞台は、着物を着る以上お面もかぶった方がよい という、そういう人生がつい先だってまで厳存していたことを語っている。

この辺りから本題に入ってきている訳ですね。であの、この辺りから後半までずっと解説 が必要になってくることが増えてくる訳ですけれども、またどんどんその前半後半とつな がりあい、共鳴しあう所が出てくるので、いったん文章を終わりまで読むことにいたしま す。

今の所ではですね、「あの強いなんとも言えぬ印象を疑うわけにはいかぬ」、「なぜ、眼 が離せなかったのだろう」、「この場内には、ずいぶん顔が集まっているが、眼が離せな いようなおもしろい顔が、一つもない」、「どれもこれもなんという不安定な退屈な表 情」、自分も今「どんなばかばかしい顔を人前に曝しているか」、「自分の顔に責任が持 てるような者はまず一人もいない」、「しかも、お互いに相手の表情なぞ読み合っては 得々としている」、「滑稽なはかない話」、「いつごろから、ぼくらは、そんなめんどう な情けない状態に堕落したのだろう、そう古いことではあるまい。現に眼の前の舞台は、 着物を着る以上お面もかぶった方がよい」。こういったあたりに注意をしてください。

この「着物を着る以上お面もかぶった方がよい」という意味がね、たぶん分かりにくいと 思うんです。これは後でお話をしていきますので、注意をしておいて下さい。「そういう 人生がつい先だってまで厳存していた」と。

続く

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