森羅万象セミナー

第3回 §5

そしてさっきの所に戻りますと、「着物を着る以上」。

「着物を着る」ということが何を意味しているのかということなんですね。「着物を着る 以上、お面もかぶった方がよい」。ここにはまたいろんな意味があるんですけれども、と りあえず簡単な所から話しておきます。

着物を着るということは、先ほどお話した「分裂」の中にすでに入っている訳ですよね。 裸のままでは恥ずかしい、そのまま、ありのまま、素面を曝しているということが恥ずか しい、だから着物を着るんです。恥ずかしいというだけではないかもしれませんが、とに かく何らかの「分別知」というものがあるから着物を着ている訳です。

「お面もかぶった方がよい」というのは、じゃあ顔を曝しておくのは恥ずかしくないの、 ということなんですね。この、顔は恥ずかしくないの、っていうことは、ここで言ってい ることの一番深い意味ではないんですけれど、でもまあそういうことでもあります。この 「顔」なんですけれども、顔とは一体何か。自分の顔に責任が持てるようなもの、顔。人 間が、その人を一番表す体の部分って一体どこでしょうか。顔ですよね。その人を一番表 すところは、顔。もちろんあらゆる所があらゆる表現をしていますけれども、でもその人 を最も現す所は顔です。

「着物を着る」。着物で隠しているのは顔じゃない所です。その人を最も表している所で ない所でさえ、素面を曝すのが恥ずかしいのに、なぜ顔が恥ずかしくないのか。顔が恥ず かしくないのに、一体なぜ、体を恥ずかしがる必要があるのか。本質的な意味で恥ずかし いという言葉を使うのであれば、本質的な意味で恥ずかしいと思うのであれば、最も恥ず かしく思わなければいけないのは、体ではなくて、むしろ顔の方である。恥ずかしいとい うことであるならば、まず真っ先に隠さなきゃいけないのは、むしろ顔であって、体では ない。

だから、「着物を着る以上」と言っている訳です。恥ずかしい順序としては、体よりも顔 なので、体を隠しているということなら、当然先に顔を隠していなけりゃいけない。そう いうことにもつながってきますけれども、まあさっき言ったようにね、ここにはもう少し 深い意味があるので、とりあえずちょっと置いておきます。

では、もう少し進みましょう。「しかもお互いに相手の表情を読み合っていて、得々とし ている」。この「表情を読み合っている」、「お互いに相手の表情を読み合っている」と いうことは一体どういう意味なのでしょう。ここで言っているのは、人間の意識の在り 方、心の在り方なんです。

1回目の時に、「即自存在」とか「対自存在」の話はしましたでしょうか。特にはしてな いでしょうか。では、少しそのお話をしましょう。このお話自体がここでの中心ではない のですが、理解する役に立ちますので。

「即自存在」「対自存在」という言葉自体は、戦後にダーッと流行った、いわゆる実存主 義の好んで使った言葉です。サルトル(ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル [Jean-Paul Charles Aymard Sartre] 1905年−1980年 フランスの哲学者、小説家、劇 作家、評論家)が、「存在と無」という本の中でもよく使った言葉ですけれども。存在、 まあこれは、密教なんかで(「密教誕生」の中でも)また違う形で出てきますけれども。

この「即自存在」っていうのは何かっていうと、これは、自立的・独立的、つまりその存 在自体が、何者の助けも必要とせず、何者も前提を必要とせず、自分自身だけで存在をし ている、そのものである、という存在形態のあり方を言います。

それに対して「対自存在」っていうのは、従属的、依存的な存在のあり方ですね。必ず何 かに対してのみ、何かの存在を前提として、その存在に対して、初めて存在するような存 在形態を言っている訳です。何かに対して、何かを前提とする、何かがあって初めて存在 するような存在形態。

これは人称に置き換えることもできるんです。

まず、「即自存在」は一人称に置き換えることができます。そして、ここにいう意味にお いては、一人称と三人称というのは同じものです。例えば、一人称とは「私」のことで、 三人称というのは「他の私」のことですから。一人称である「私」、この私はとにかく 「いる」と。私と同じように他にもまた、私と違う私が「いる」。その違う私のことを三 人称というふうに呼んでいる訳ですね。

この一人称・三人称っていうのは、相手がいる必要はない。それ自身で「私」とか、違う 私のことを「彼」とか「彼女」とか、人間でないものだったら「この黒板」とか言うこと が出来ます。例えばそういうようなものです。他の存在に関係なく存在する訳なんです。 その存在自体が、他の存在を必要としない。

もうひとつの「対自存在」は、二人称に置き換えることができます。二人称というのは、 「あなた、君」っていうことで、この二人称っていうのは、誰か相手がいないと存在し得 ない。二人称ですから。「あなた」っていうのは、「私」がいないと存在できない訳です ね。この関係性っていうのは。

これは英語ではYouです。こっち(一人称、三人称)はIでHeでSheでItです。Youというの は関係性を持っています。この二人称というのは、二人いないと存在できないですよね。 二人いないと絶対にできない。「あなた」なんだから。あなたっていうのは、こちらが 「あなた」っていう時に、そこにいないといけない訳です。このように、関係があって初 めて存在する。一人称・三人称と違って、二人称は、他の存在がその関係性の最も中心的 な要素である訳なんです。

続く

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