それで、ここで言う「やくざなもの」ということですね。「やくざ」っていう言葉ですけれどね。表面的な話からしますと、一般社会の方がやくざの世界よりはずっとやくざな世界です。表面的な話からしますと言いましたけどね、つまりどういうことかと申しますと、やくざっていう言葉もどういうふうな意味をね、やくざっていう言葉に含ませるかということによって凄く違ってくるんですけれども。
いわゆる一般社会の方がずっとやくざな世界だというふうに言いましたが、凄く簡単な話をしますと、例えばね、やくざとか極道と言われている人たちの世界では、一旦言った約束とかいうものは非常に重い意味を持ちます。口約束であろうとも、書面に書いた約束であろうも、もちろん同じです。そして、その約束を破ったことについては、非常に厳しい報いというものがくる訳ですけれども。
例えばね、いわゆるバブルの時代の頃に、まあその頃は銀行がやくざだったとよく言われますけれども、例えばこういうことがあるでしょう。NTTの株が出て、そして凄く儲かった。その頃銀行はどんどんNTTの株を買うことを勧めたわけですね。いろんな人たちにいろんな株を勧めました。そして、どんな融資でも、ちゃんととにかく融資をする。それで、買った株を担保に融資するので、どんどんお金を借りて下さいというふうに言ったわけですね。そういう時代がありました。銀行の中でも、そういうふうな会議がよくあって、とにかく銀行はお金を貸してなんぼなんだからとにかくどんどん貸せということでね、いろんな形で勧誘をしていったわけですね。
そういうふうな方針でやった銀行もあれば、あまりそういうことをやらなかった銀行ももちろんあります。あまりそういうことをやらなかった銀行が今、割と安泰に生き残っている訳ですけれども、でもその頃は、どんどんそれをやった銀行は非常にもてはやされて、やらなかった銀行は非常に怠惰な、鈍重な、あまり頭がないつまらない銀行のように思われていた頃でしたけれども。まあとにかくどんどん株が上がってね、そうやってやっていた時はそれでよかった。けれどもバブルが崩壊した。
そうしたらどんどん今度は価値が下がっていって、それだけを例えば担保に取っていたとすると、価値がなくなってきたので、担保切れをしていくわけですね。それを例えば250万と見ていた。それが例えば100万になっちゃった。そうすると貸したお金は、250万だけども、その担保は、担保の金100万でしかない。そうすると、この銀行の方ではね、まずそれは実体的には半ば無理矢理に借りてもらった、お願いして借りてもらったところが大いにあるお金で、いろんなことを言って、借りてもらったんだけども、そこではお金を貸した、借り
た、そして契約もある。だからそれはとにかく、借りた方はとにかく借りたんだと。借りたお金はもちろん返さなきゃいけない。という論理で、担保切れをしていったら、今度はね、担保を積み増してもらわなきゃいけない。という論理に変わる。
実体的には本当はいろいろお願いだから付き合いもあってこれだけやって下さいお願いします、と言って、じゃあ付き合いもあるから、じゃあこうしてあげようかっていう感じで、実体的にはやったんだけれども、今度は担当者ももちろん全部変わる。そして、全く知らない人がやってきて、他の担保を下さい、それからすぐに返済をして下さい、という態度にね、変わっていく。
こういうふうな言動というのはね、銀行の大半が持っていた傾向というものは、どのような形容詞を付けると、ぴったりくるのか。一番ぴったりくるのは、やっぱり「やくざ」。非常にやくざな、つまりとてもね、凄く変な言い方をすると恥知らずな行動。ただ、さっきの男性性と男性というのは違うようにね、それはやくざからきた言葉なんだけども、でもそれとやくざとはまた違うんです。それがややこしいところなんですけれどね。
だけども、いわゆるまともでないことをする。そして、そのまともでないことが、いわゆる法律によって一応守られて、そしてとりあえず通用する。通用するような社会がある。一旦法律とかね、国家とかそういうことを一旦ちょっと枠組みを外して考えた時に、とにかく行為として、ある信用力、例えば銀行という名前で、これこれこうだから、それでいろんなお付き合いがあるのでこうして、こうやって下さいよ、お願いしますよ、というふうにやっていたことがね、今度は、そういう人間的な付き合いがあり、そもそもそういうふうにお願いをした経
緯を、やっている、知っている間柄同士では、銀行のころっと変わったことというのは人情的にはとてもできないことなので、全部人を変える。そして、人が変わったら自分がやったことじゃないから平気で言う。というふうな、そういう在り方ですね。
では他にどうしたらいいのかってね、開き直られたり、そういう事態になってから初めてじゃあどうしたらいいのかって問題じゃなくて、そもそも融資の仕方そのものね、全体的なことも、もともといろんな問題点というものがあった訳ですけれども。
そうですね、今そういうふうな存在の在り方についてお話をちょっとしている訳ですが、結局、さっきの女みたいな女、女みたいな男じゃないですけども、通常使われている意味においては、いわゆる普通の表社会の方がずっとやくざ的なことが多くて、そしていわゆるやくざの世界は通常考えられているよりは、遥かにまともな世界であるということなんです。
「通常考えられているよりも遥かにまとも」というふうには言いましたけれども、やくざの世界が全部まともだって言っている訳ではもちろんないんです。それがやくざという言葉が出てきた語源ももちろんあり、もちろんいろんなことをしているんですけれども、これについては凄くよく考える必要があることなんです。今回のシリーズではやくざの話までは難しいんですけれど、これは凄くよく考える必要があることなんです、本当にね。
だからまあとにかく、そういうやくざなものはね、お面で隠してしまうがよい。つまり、さっき言いましたように、本当は裸自体、何も恥ずかしくない。でも本当はね、もし人間が恥ずべきだとしたらね、いわゆるやくざなものなんです。これが一番恥ずべきものであって。今言ったように、やくざが恥ずかしいんじゃないんですね、やくざなもの、やくざ「的」なもの。「的」っていう時にやくざとはまた、さっき言った男性性と男性とはまた別だって言った、そういう意味なんですけれども。
だからまあ今「恥ずかしい」という言葉をね、最も恥ずべきものがあるとすると、やくざなものだって言いましたね。で、じゃあやくざが一番敏感なこと、一番反応することは何かって言うと、要するに体面を汚されること、恥ですよね。やくざは一番恥を嫌います。これはね、今お話ししたことと凄く関係をすることなんですけどね。
また、やくざの考える恥といわゆる表社会の考える恥とはね、凄く違う。そしてどちらが本質的に恥なのかということを考えた時にね、もしかすると、いわゆるやくざが恥じる恥の方がいわゆる表社会が、いわゆるですよ、いわゆる表社会が恥と考えていることよりも、もっと本質的なことかもしれません。
もう少しお話したいこともあるんですが、「当麻」についてある程度お話をできたように思いますが、皆さんどんな感じでしょうか。