では、次に行きます。

仮面を脱げ、素面[そめん]を見よ。

「しらふ」って読むと、感じがちょっと違ってきますね。ここでは「そめん」と読むことにしましょう。

そんなことばかり喚きながら、どこに行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。ルッソーはあの『懺悔録』で、懺悔など何一つしたわけではなかった。あの本にばら撒かれていた当人も読者も気がつかなかった女々しい毒念が、しだいに方図もなく拡ったのではあるまいか。ぼくは間狂言の間、茫然と悪夢を追うようであった。

ここは、全部の文章ですね。全部の文章が、全部要注意です。「仮面を脱げ、素面を見よ。そんなことばかり喚きながら、どこに行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出した」、ルッソーは本当の意味での「懺悔など何一つしたわけではない」、「あの本にばら撒かれていた当人も読者も気がつかなかった女々しい毒念が、しだいに方図もなく拡った」、「茫然と悪夢を追ようであった」。

中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは、歴史の泥中から咲き出でた花のように見えた。人間の生死に関する思想が、これほど単純な純粋な形を取り得るとは、ぼくは、こういう形が、社会の進歩を黙殺し得た所以を突然合点したように思った。要するに、皆あの美しい人形の周りをうろつくことができただけなのだ。あの慎重に工夫された仮面の内側にはいり込むことはできなかったのだ。世阿弥の『花』は秘められている、確かに。

そうですね、この辺もほとんど全部要注意なんですけれども、「歴史の泥中から咲き出でた花」、「人間の生死に関する思想が、これほど単純な純粋な形を取り得る」、「ぼくは、こういう形が、社会の進歩を黙殺し得た所以を突然合点した」、「あの美しい人形の周りをうろつくことができただけ」、「あの慎重に工夫された仮面の内側にはいり込むことはついにできなかった」、「世阿弥の『花』は秘められている」。

現代人は、どういう了簡でいるから、近頃能楽の鑑賞というようなものが流行るのか、それはどうやら、解こうとしても労して益のない難問題らしく思われた。ただ、罰があたっているのは確からしい、お互いに相手の顔をジロジロ観察し合った罰が。誰も気がつきたがらぬだけだ。室町時代という、現世の無常と信仰の永遠とをいささかも疑わなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心している。

ここも特に後半ですね。

近頃能楽の鑑賞が流行っているらしい。それはなぜかを正確に解くことは案外難しいんだけれども、それを苦労して解いたからと言って、そこに何かすばらしい意味があるような問題ではない。ただ、罰、バチがあたっているということだけは確からしい。どういう罰か。「お互いに相手の顔をジロジロ観察し合った罰」。これは前半、ちょっと前の所と、面白く共鳴し合う訳です。

そして、「誰も気がつきたがらぬ」、「室町時代という、現世の無常と信仰の永遠とをいささかも疑わなかったあの健全な時代を乱世と呼んで安心している」。

それは少しも遠い時代ではない。なぜならぼくはほとんどそれを信じているから。そしてまた、ぼくは、無要な諸観念の跳梁しないそういう時代に、世阿弥が美というものをどういうふうに考えたかを思い、そこに何んの疑わしいものがないことを確かめた。『物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし』。美しい花がある、『花』の美しさというようなものはない。彼の『花』の観念のあいまいさについて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされているにすぎない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きよりはるかに微妙で深淵だから、彼はそう言っているのだ。不安定な観念の動きをすぐ模倣する顔の表情のようなやくざなものは、お面で隠してしまうがよい、彼が、もし今日生きていたなら、そう言いたいかもしれぬ。

これも、非常に重要な所ですね。「無要な諸観念の跳梁しないそういう時代に、世阿弥が美というものをどういうふうに考えたかを思い、そこに何んの疑わしいものがないということを確かめた。『物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし』。美しい花がある、『花』の美しさというようなものはない。『花』の観念のあいまいさについて頭を悩ます現代の美学者といわれる人たちの方が、ただ化かされているにすぎない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者[肉体]の動きは後者[観念]の動きよりはるかに微妙かつ深淵」。「不安定な観念の動きをすぐ模倣する顔の表情のようなやくざなものは、お面で隠してしまうがよい」。

ぼくは、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。ああ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ちこんではいけない。ぼくは、再び星を眺め、雪を眺めた。

今、ほとんど何も解説しておりませんが、多少その力点をお話をしたと思います。これはどういうことなのか、どういう話なのかっていうことですね。実はこの短い文章の中には、すごくたくさんのことがちりばめられています。それを最初いくつかのお話をしながら、統合していきたいと思います。

どこからひも解いていくかなんですけれど、「仮面を脱げ」っていう所から行きたいと思います。「仮面を脱げ」。68ページの真ん中ですね。「仮面を脱げ、素面を見ろ。そんなことばかり喚きながら、まあ駆け出した。ルソーはあの「懺悔録」で、懺悔など一つもしていない。あの本にばら撒かれていた女々しい毒念が、どんどん拡った」というところですね。

 

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