そしてさっきの所に戻りますと、「着物を着る以上」。

「着物を着る」ということが何を意味しているのかということなんですね。「着物を着る以上、お面もかぶった方がよい」。ここにはまたいろんな意味があるんですけれども、とりあえず簡単な所から話しておきます。

着物を着るということは、先ほどお話した「分裂」の中にすでに入っている訳ですよね。裸のままでは恥ずかしい、そのまま、ありのまま、素面を曝しているということが恥ずかしい、だから着物を着るんです。恥ずかしいというだけではないかもしれませんが、とにかく何らかの「分別知」というものがあるから着物を着ている訳です。

「お面もかぶった方がよい」というのは、じゃあ顔を曝しておくのは恥ずかしくないの、ということなんですね。この、顔は恥ずかしくないの、っていうことは、ここで言っていることの一番深い意味ではないんですけれど、でもまあそういうことでもあります。この「顔」なんですけれども、顔とは一体何か。自分の顔に責任が持てるようなもの、顔。人間が、その人を一番表す体の部分って一体どこでしょうか。顔ですよね。その人を一番表すところは、顔。もちろんあらゆる所があらゆる表現をしていますけれども、でもその人を最も現す所は顔です。

「着物を着る」。着物で隠しているのは顔じゃない所です。その人を最も表している所でない所でさえ、素面を曝すのが恥ずかしいのに、なぜ顔が恥ずかしくないのか。顔が恥ずかしくないのに、一体なぜ、体を恥ずかしがる必要があるのか。本質的な意味で恥ずかしいという言葉を使うのであれば、本質的な意味で恥ずかしいと思うのであれば、最も恥ずかしく思わなければいけないのは、体ではなくて、むしろ顔の方である。恥ずかしいということであるならば、まず真っ先に隠さなきゃいけないのは、むしろ顔であって、体ではない。

だから、「着物を着る以上」と言っている訳です。恥ずかしい順序としては、体よりも顔なので、体を隠しているということなら、当然先に顔を隠していなけりゃいけない。そういうことにもつながってきますけれども、まあさっき言ったようにね、ここにはもう少し深い意味があるので、とりあえずちょっと置いておきます。

では、もう少し進みましょう。「しかもお互いに相手の表情を読み合っていて、得々としている」。この「表情を読み合っている」、「お互いに相手の表情を読み合っている」ということは一体どういう意味なのでしょう。ここで言っているのは、人間の意識の在り方、心の在り方なんです。

1回目の時に、「即自存在」とか「対自存在」の話はしましたでしょうか。特にはしてないでしょうか。では、少しそのお話をしましょう。このお話自体がここでの中心ではないのですが、理解する役に立ちますので。

「即自存在」「対自存在」という言葉自体は、戦後にダーッと流行った、いわゆる実存主義の好んで使った言葉です。サルトル(ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル[Jean-Paul Charles Aymard Sartre] 1905年−1980年 フランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家)が、「存在と無」という本の中でもよく使った言葉ですけれども。存在、まあこれは、密教なんかで(「密教誕生」の中でも)また違う形で出てきますけれども。

この「即自存在」っていうのは何かっていうと、これは、自立的・独立的、つまりその存在自体が、何者の助けも必要とせず、何者も前提を必要とせず、自分自身だけで存在をしている、そのものである、という存在形態のあり方を言います。

それに対して「対自存在」っていうのは、従属的、依存的な存在のあり方ですね。必ず何かに対してのみ、何かの存在を前提として、その存在に対して、初めて存在するような存在形態を言っている訳です。何かに対して、何かを前提とする、何かがあって初めて存在するような存在形態。

これは人称に置き換えることもできるんです。

まず、「即自存在」は一人称に置き換えることができます。そして、ここにいう意味においては、一人称と三人称というのは同じものです。例えば、一人称とは「私」のことで、三人称というのは「他の私」のことですから。一人称である「私」、この私はとにかく「いる」と。私と同じように他にもまた、私と違う私が「いる」。その違う私のことを三人称というふうに呼んでいる訳ですね。

この一人称・三人称っていうのは、相手がいる必要はない。それ自身で「私」とか、違う私のことを「彼」とか「彼女」とか、人間でないものだったら「この黒板」とか言うことが出来ます。例えばそういうようなものです。他の存在に関係なく存在する訳なんです。その存在自体が、他の存在を必要としない。

もうひとつの「対自存在」は、二人称に置き換えることができます。二人称というのは、「あなた、君」っていうことで、この二人称っていうのは、誰か相手がいないと存在し得ない。二人称ですから。「あなた」っていうのは、「私」がいないと存在できない訳ですね。この関係性っていうのは。

これは英語ではYouです。こっち(一人称、三人称)はIでHeでSheでItです。Youというのは関係性を持っています。この二人称というのは、二人いないと存在できないですよね。二人いないと絶対にできない。「あなた」なんだから。あなたっていうのは、こちらが「あなた」っていう時に、そこにいないといけない訳です。このように、関係があって初めて存在する。一人称・三人称と違って、二人称は、他の存在がその関係性の最も中心的な要素である訳なんです。

 

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