森羅万象セミナー

第2回 §20

先ほど、ちょうど免疫機能の抗体の話をいたしました(第2回-9)。あのお話が真に意味 するところっていうのは、こういうことなんです。

抗体というものは、初めからただもうでき上がったものが用意されているということでは なくて、どのような抗原がやってきても、それにあわせて作られる。我々の認識も同じ で、何が提示されてもそれに合わせて作用することができる。ということは、そのような 物が潜在的に、もともとそのキャパシティの中に入っているということなんです。

だから、その携帯電話というものに対する認識も、そのキャパシティの中にあるというふ うに言った方が分かりやすいかもしれないです。どうでしょうか。

質問

見えるっていうのと認識できるというのはまた別ということでしょうか。物は見えるけど それは認識できない…

そうですね、何かをみるときに、目というレンズの中には一応「映っている」。けれど も、それは「映っている」だけで、それは「認識している」こととは違っているわけです よね。

例えば、いわゆる目が見えない人にもレンズはある。レンズはあるけど画像は結んでいな い。けれども画像が結びさえすれば、認識するというわけではありませんね。また例え ば、今までは見えていても、何らかのショックによって目が見えなくなったという方もい らっしゃいますよね。その人たちは、画像を結び、神経的に信号も行っているはずなんだ けども、でも何らかの理由によってその信号をキャッチできない。で、何らかのきっかけ によって、また突然目が見え始めることもあるわけです。その時には、非常に微細な所で の変化っていうものが当然あるはずなんですけれども。

先ほど五感のお話をしたときには、「見る」という機能と、そのものを「認識する」でき るということが多少混在しておりましたけれども、目ということで言えば、画像を結ぶと いうレベルと、それを認識するというレベルとはね、そこには一応違いというものがある わけです。単なる画像というものから、ある意味のある信号として我々がそれを受容し て、そしてそういうふうな表象を抱くというところまでは、実際には結構距離があるわけ なんですね。

質問

この本に書かれていることは、赤い花を見てそれが「ある」かどうか、それを問題にして いるじゃないですか。これは物を「見る」ということだけではなく、音とか触った感覚と か、そういうことについても同じことだと思うんですけれども。たまたまここでは、「見 る」ということと「認識」ということで言われていましたけど、「物がある」というの は、見るだけじゃなくて触ったり聞いたりもして「認識」するわけですよね。

もう一つですね、例えばさっきの携帯電話のことですけれども。私たちはもう携帯がある ということを知っているわけですが、まだ知ってない人はそれを認識できるのかどうか と、先ほどの方は、そのことを言われたんじゃないかなと思います。例えばアフリカの人 とかですね。私は知らないけど、この世の中にこれから発明される物というのは既に、そ のアーラヤ識ですか、そのアーラヤ識の中には存在しているというか、そういうことでし ょうか。

そうですね、先ほどキャパシティという言葉に言い換えました。例えば現在のアフリカの 人でも、それをそんなふうに認識できるキャパシティというのは、十分あり得ると思いま す。でも、携帯電話をこのコップに認識させることは可能でしょうか。このコップが携帯 電話というものを認識するということは可能でしょうか。キャパシティというのは、そう いうふうな意味なんです。

質問

先生、その携帯電話の機能を認識することと、物として見えるということ、その境という か、その所が分からないんです。例えばここにマッサージ器があります。私はこれを五歳 の時、何だろうと思っていたんですね。で、聞いたら、こうやってゴロゴロするものだっ て言われて、ああ、これは手動式のマッサージ器だということが分かったんですけれど も。

最近アフリカの人に携帯電話を持って行って、これは何なのか見せたとします。アーラヤ 識にそういう情報がないと見えないということが、物があるのは見えるけれども機能が分 からないだけなのか、物そのものが見えないのか、そこの所がちょっと分からないです。

先ほど申し上げましたように、瞬間的にそれが何なのかということを全体として認識する ということは、その時にはもちろん難しいと思います。今、申し上げたいことはそういう ふうなレベルの話とは全然違う話なんです。

例えば、携帯電話を見て、すぐにそれが何なのかは分からないかも知れません。ですが、 これはこういうふうなものですっていう説明をされたり、これがどのように使われている かを見たりしているうちに、なるほどこういうものかと分かりますよね。

じゃあ、それが例えばこのコップに分かりますかっていうことなんです。コップに分かり 得る可能性というのはあるでしょうか。ここでお話したいのは、そういうふうなことなん です。

質問

今日のお勉強というのが、前回がこの世の中は何ですかっていう内容だったですよね。 で、今日のお勉強は、じゃあ自分というのは何なのかっていうお勉強かと思うんです。

その中でこの密教を捉えられたということですよね。この密教の目的というのが本当は、 輪廻転生、生まれ変わりしていますよ、その輪廻というのは苦しいんですよ、と。で、そ れから抜けましょうと、これが解脱ですよね。輪廻から抜けるためには、輪廻転生してい る、生きている本質というのは何なのかを知って、その本質をどうすれば、どうなれば解 脱になるのかを学ぶ。これはそういう本ですよね。

まだこのセミナーの途中でもあるし、二回目お話の途中でもあるものですから、アーラヤ 識がどうとか、認識の問題とか、詳しく入っていこうとするとこんがらがってくるように 思います。じゃあそこで止まりますかっていうと、そこをじゃあ皆で考えていきますかっ ていう話になってくるだろうし。この桐山靖雄という方の考え方、密教の考え方がどこに あるのかという所で、また捉え方が違ってくるだろうと、その先生のお話の流れを聴こう と思って待っているんですけどね。

分かりました。

今回の6回シリーズというのは、まあとにかく一回やってみようと思って始めたわけです ので、やりながらいろいろ考えていきたいと思います。

続く

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