森羅万象セミナー

第2回 §21

今までのお話は、どれも別々に見えるかも知れないのですが、実は準備をしている感じな んです。ある程度準備ができたら、これらが次第にだんだんだんだんお互いに関係をしあ ってきて、だんだんだんだん一つの所に行くんです。そして、どれが欠けても、後でこの 全部が素晴らしい意味を持って一つの所に行くということが、しにくくなるんです。

今日、ある程度パッパッパッと、何かちょっと抜粋をして行こうかなと思ったんですが、 もちろんそんなことはやっぱり不可能なんですね。

このコースでは、次回(第3回)に「小林秀雄を軸にして」というテーマでお話をしよう と考えています。(小林秀雄の資料はまだ配ってないですよね…ええ、できれば今日配っ た方がいいですね。)

次回は特に「概念」について、非常によく考えることになります。お配りするのは、ほん の数ページにしか過ぎない文章です。おそらく最初は、すごく読みにくいと思います。ほ んの数ページなんですけど、読みにくい。私も、前お話したかもしれませんけど、まあ1 50回か200回ぐらい、ものすごく精読してようやく、もう毛穴の先から全部分かった という感じになったんですが、最初は全然分かりませんでした。ですけどこれは是非、そ れを読みながらやっていきたいんです。

そのことも、全体的なこういうことも、皆関係をします。そしてコースの第4回では、科 学の本質についてお話をします。「『部分と全体』を軸として」というテーマですが、こ れは単なる科学のお話ではなくて、認識の問題です。あらゆることに全部関係をしていき ます。

そして第5回で、「科学・宗教というものを軸として」というテーマで、エネルギーとは 何かというお話をします。前回(第1回)にしたようなお話も含まれますが、その間に ね、それぞれがいろんな形で、だんだんだんだんと一つの方になっていくだろうというこ とを期待しているわけなんです。

そして、最終回「人間の本質的成長」の中で、本質的成長というのはどのような方向性で あるかというお話、まさにさきほどおっしゃったような、解脱的な方向性ですね。病とい うか、世の中に起こるいろんな現象、それらには一体どのような意味があるのか。

前回第1回目は、何らか全体的な枠組み的なお話をしたわけですが、2回目以降にこれら のお話をしていく中で、とにかくいろんなことが、どんどんどんどん一つの方向に行くわ けで、今その途中の段階にいるということなんです。

本当はね、今回お話をしている「唯識を軸として」というテーマについてお話する日が、 もう一回あればいいなというふうな思いもあるんです。ですからその意味では、この本 (「密教誕生」)を本来は皆さんが、最低でも数回お読みになっていることを前提にし て、お話をしたいことがね、本当はあるんですけれども。

今日、ちょっと朗読的になっているのは、お読みになってない方もいらっしゃるのでね、 どうしてもそれを1から、ゆっくりとお話をする必要があるので、そうしております。今 日朗読的にやらなかったらまた、次回まで多分お読みになかなかなれないと思いますの で、そういう感じなんですけれどもね。

質問

今日はそのゼロポイントに行くということですか。

そうですね、ゼロポイントに行くということも、この本の中に出てきますが、それは結 局、そのゼロポイントからあらゆることを「再定義する」ということなんです。

「再定義する」ということはどういうことかって言うと、仮構されているあらゆる虚妄・ 妄想、それらがどのようにできているのかということが、だんだんだんだん明らかになっ てくるということなんです。

それが、ただ単にこういうふうになってきたんだよというふうに、説明的に明らかになる のではなくて、その「明らかになり方」っていうのは、それが、その明らかになることそ のものが、もうそこから覚めていくような、そういうことにそのままつながっていくよう な分かり方なんです。

そうして、その本来の「存在のゼロポイント」、そこから、全てのことがあるべきように 再定義されていく。これは、我々の日常のありとあらゆることが、全てそこから組み直さ れる、そのようにして、またそういう方向性で、我々が新しく生まれ変わるということを 意味しているわけなんです。

質問

それはつまり人間とは何だろうという、人間の見方ですよね。だからその再定義というの は、人間の定義というか、人間ってどんな存在なのかという、そこを理解してからでない と理解できないということなんですよね。

私たちは人間で、その中に意識、意識の中に自我や真我、マナ意識とかアーラヤ識と呼ば れる意識がありますね、お話を聴いていると。で、その自我、マナ意識の中で、私たち人 間というものは定義されている。

それによって私たちは、例えば意識化された物を見てしまっていると。私たちは、実はそ の物に辿り着く前の意識、アーラヤ識によってでき上がった現象のもの、その表象のもの を、幻想化してしまっている。そして人間としての意識自体が、幻想化されたものであ る、そんないろんなことを今日のお話の中で感じたんですけれども。

そうすると、そこの意識の整理の仕方、つまり再定義のあり方自体が、じゃあ人とは何だ ろうって、「人」って実は「人」ではなかったんじゃなかろうか、という所に最終的に行 き着かざるを得ないような所を感じます。だから「私」とか、その自我の中で言った「答 え」というのは、実は幻想でしかあり得ない。

先ほどの携帯電話というのが、実際、携帯電話というのは形、その表象というかでき上が った形であって、その携帯電話というのは実は音を伝える物である。だから、その真偽っ ていうのは形にはないわけですよね。で、形になったものが、その携帯電話であったり。 例えばこのコップだって、本当はこれ、コップというよりも土なわけですよね。

結局そのでき上がる以前の物は何だったのかということ、振り返って人間を見たとき、意 識としての自我ではなく真我ということ。その真我というのがよく分からない。アーラヤ 識の方で、判断というのか、アーラヤ識の中で意識化していくこと、すみませんちょっと よく分からないのですが…話を聴いていると、何となくそういうものをちょっと感じま す。

はい。よく分かりました。今いろいろ、いいお話を頂きましたけれども、それについては まさに今から引き続きお話することによって、だんだんより明らかになっていくと思いま す。

続く

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