森羅万象セミナー

第2回 §4

これはね、非常に象徴的なお話なんです。通常、我々を動かしている「強い力 」って何か というと、これはいわゆる「感情的な力」です。少し古い言葉で言いますと、 情念です ね。これ英語では、passionと言いますね。このpassionという言葉はpassiveと 同じとこ ろから来ています。passiveというのは「受動」ということなんです。

もう少し考えて「受動」というのはどういうことかといいますと、「何々に対 して起こ る」っていうことなんです。つまり、受け身っていうことなんですね。先に自 分があるん ではなくて、何かが先にあって、それに対して受動的ということです。

この情念というのは非常に強いので、我々は何となく、ものすごくいろんな感 情がわき上 がっている時っていうのは、それは自分の中からわき上がっているような、そ んな錯覚を 持ちますけれども、実際には逆なんです。ウワーッて何かすごい感情がわき起 こる時って いうのは、よく考えてみたら、必ず先にある何かに対してそのような感情とい うものが、 実は受動的にわき起こっているわけであって、我々自分自身がね、何もない所 から能動的 にそれを発生させているわけでも何でもないんです。

何もない所から、まあ無からと言ってもいいでしょうか、無から有が生じてい るわけでは ないんです。必ず、何かに対してそれが起こっている。このように、この極め て強い感情 的な力は、受動的に起こっているので、実はね、これそのものがとっても不自 由なものな んです。今は、あまりこのことについては長くお話いたしませんけれども、こ のことは、 後のお話にそのままそっくり繋がってきます。今日の唯識(ゆいしき)、阿頼 耶識(あら やしき)、末那識(まなしき)の話と、そのまま繋がってくるお話なんです。

我々が目指していくところは、本質的な自由であるわけですけれども、その本 質的な自由 というのは一体どのようにして得られるのか。また、そもそも我々はなぜ不自 由なのか。 なぜそのようないろいろなものに囚われているのか。そのあたりもそのままで すね、唯識 を勉強していくことから、いろんな形、いろんなレベルで気がついてこられる と思いま す。そうですね、今日皆さん、本をお持ちですよね。今日はこの本を中心にや っていきま す。ただし、声を出して読みながら進めますので、そのときはよく聴かれなが らやってい ただきたいと思います。

その前に、今日お渡ししたプリントをご覧いただけますでしょうか。これはも ともと「ホ メオパシーと錬金術」というタイトルで、あるイスラム系の雑誌に書いた物で すけれど も、前半のホメオパシーについてのところ(本当は最初からずーっと読んでい ただいた方 がいいんですけれども、まあとりあえずちょっと飛ばします)、3ページ目の ちょうど真 ん中ぐらいを開けていただきたいと思います。まあ途中からになりますけれど も、この箇 所を読んでみます。

「ではあらゆる病気、あらゆる苦しみの根源とは一体何でしょうか? ホメオ パシーでは それをDelusion(幻想・妄想・仮妄)と呼んでいます。あらゆる病気や苦しみ の根源は、 実にこのDelusionにあるというのです。ここにおいて、ホメオパシーと仏教の 唯識とは直 接繋がってきます。Delusionとは正に唯識そのものでありますし、その最下層 に布置され るマヤズムはその構造といい機能といい、正に唯識で言う『汚れたマナス』そ のもの、つ まり我執の識である第七識の末那識と、その熏習を受けた最下層の第八識の阿 頼耶識との 同時因果的な相互作用に他なりません。

唯識は一般に極めて難解といわれていますが、理論として難しいだけでなく 、実践智と して、自分において実存的に会得するのには極めて長い期間を要す、とされて います。正 にホメオパシーのDelusionと全く同じです。そして不思議な共時性とでもいう のでしょう か、英国でもホメオパシーを仏教を通して理解しようとする人々が最近ポツポ ツ出てきて いるのは、とても興味深いところです。

というわけで、仏教の唯識を中心としてイスラムのスーフィズムとの対比も 用いながら ホメオパシーの根本を説明したいと思いますが、最初は狭義の病気に絞り、病 気とは何 か、何が病気の主体なのかを考察し、その後に病気の根源に遡り、あらゆる苦 しみの根源 としてのDelusionについて、唯識、スーフィズムに触れながら徐々に深く考察 していきな がらホメオパシーのレメディー(薬)とはいったい何なのかを説明したいと思 います。

ホメオパシーでは病気[というもの]は一種類しかありません、と言うと、 そんな馬鹿 な! という声が聞こえてきそうです。結核・ガン・エイズ・コレラ・チフス ・パーキン ソン…難病だけでも幾らでもあるのに、よりによって病気は一種類しかないな どとよく言 えるもんだ、というように驚かれると思います。確かに[いわゆる]病名はた くさんあり ます。しかし病名とは人間が勝手につけた名前であって、病気そのものではあ りません。

ホメオパシーでは『病気[というもの]はVital Force(生命のエネルギー )が障害を 受けている状態』という一種類しかないと考えています。そして『風邪という ものは存在 しない。Aさんの風邪とBさんの風邪は違う。存在するのは一人一人固有の症 状、[固有 の]存在のあり方をしている人がいるだけである』と考えます。

ですから病気の主体とは、[いわゆる]外的な要因ではなくその人の存在のあ り方であり ます。つまり結核、コレラ[という病気]の主体とは[いわゆる]結核菌やコ レラ菌[そ のもの]ではありません。なぜならもし結核菌が結核の[最終的な真の]主体 であるなら ば、結核菌が存在すれば『自動的』に結核になるはずですが、実際にはそうで はありませ ん。結核菌がうようよしているところにいても、結核になる人とならない人が います。

そう言うとその違いをもたらすのは体力、防衛力、免疫力の問題である、とい う人がいる でしょう。仮にそうであってもその[いわゆる]体力、防衛力、免疫力という もの、それ らは全てその人のあり方の一部であります。つまりその人が病気になるかなら ないかとい うことを最終的に決定するもの、つまり病気の主体[最終的な真の主体という もの]は、 あくまでその人のあり方[存在のあり方](Way of Being)であるわけです。

ではその人の[存在の]あり方とは何か、いったい何がその人のあり方を決定 し支配して いるのか? 唯識・スーフィズムを引合いに出しながら、このテーマをじっく りと説明し ていきましょう。

続く

森羅万象インデックスへ


Copyright© 2002-2008 Japan Homeopathy Foundation All Rights Reserved