森羅万象セミナー

第2回 §6

ヴァスバンドゥはこれらの反論に次のように答えている。

(1)(2)表象が空間的・時間的に限定されて生ずるということは、必ずし も表象され るものが外界に実在することを前提としない。なぜならば、夢の中では、実在 する対象が ないのに、ある特定の場所にだけ花園や男・女などが見られ、しかもその場所 において、 いつでも見られるというのではなく、ある特定の時にだけ見られるからである 。

(3)前世で行なった行為の結果として餓鬼の状態におちいっている者は、み な一様に、 清らかな水が流れている河を前にして膿や尿や汚物に満ちた河の表象をいだき 、実際には そこにおりもしない番人たちが、棍棒や剣をもって監視しているという表象を いだく。し たがって、表象がひとりの心だけに生ずるのではないからといって、対象が外 界に実在す ることを認めねばならぬ理由はない。

(4)夢の中にあらわれた異性との交わりによって夢精がおこる。すなわち、 実在しない ものでも実際に効用をはたすのである。

これは「仏教の思想 認識と超越<唯識>」という、本の中に書いてあります 。で実はこ の本は皆さんがお読みになった「密教誕生」の種本の一つです。今の箇所は、 実はこれが そのままそっくり、使われています。

四つの鋭い疑問に対してどのように反論するのかと思いきや、夢の話を出され て唖然と いうか、だまされたような気がされた方もいらっしゃると思います。夢の中で 見た対象 は、目が覚めた時には消滅していますので、それは夢であった、それは実在し ないという ことがはっきりとわかりますが、目覚めている時に見る対象については、そう ではありま せん。見ていても見ていなくても、それは『絶対的に』存在する、と思うわけ です。

ですから夢の例を出されても、『そんなことでは騙されないぞ!』と、疑いの 火に油を注 いだように懐疑が燃え盛ってしまうかもしれません。しかし、実は夢の例はは ぐらかして いるのでも何でもなく、これ以上ないほどに的確な比喩なのです。

ヴァスバンドゥは夢の比喩に対してこのように反論する人に対してこう言いま す。

『夢の中で見る対象が実在しないことを、いまだ目覚めていない人は悟らない 』

これは実は狭義の夢の話ではなく、私たちが[いわゆる]現実だと思っている ことは夢 のようなものであり、[いわゆる]『気付き』とは、自分が閉じ込められてい た『夢』か ら目覚めることで、それが小さな気付きであっても大きな気付きであっても、 気付く前、 つまり目覚めた前と後では世界が違っているのです。気付く前はそれが現実だ と思ってい たわけですが、実はそれは現実ではなかった、つまり妄想されていた現実であ ったわけで す。ホメオパシーではそれをDelusion(幻想・妄想・仮妄)と呼びます。

その妄想されている現実が、どのように苦しみを起こしているか、それがどの ように狭 義の病気、即ち心や身体の苦しみにまで表現されているのか、そして実は人を 苦しめる根 源的な力そのものが、そのままその人を苦しみから開放する源泉となるという 秘密と妙 味、それが『似たものが似たものを治す』ということの秘められた本当の意味 であること (正に密教です)、そしてその力をホメオパシーではレメディーと呼ぶこと、 また今回に はイスラムの密教、あの驚くべき大伽藍、スーフィズムは未だ出てきていませ んが、微分 という数学の解析学!の概念を援用して、ホメオパシー・唯識・スーフィズム の黄金の三 角形について次回はご説明したいと思います。

一番最後のところはかなり急いで書いておりますので、この辺は今日、ゆっく りお話をし たいと思っています。

この「夢」っていうことですけれどもね、我々は夢ということについて、普段 あまり真面 目に考えていません。せいぜい夢判断だとか、夢っていうものは何らかの前兆 ・予兆では ないかとか、その程度に考えるくらいで、それ以上はあまり考えておりません ね。

後は「人生夢が如し」とか、まあそれもあまり深い意味ではなくて、何と言う んでしょう か…レトリックというか修辞学というか、単なる文学的な表現程度であって、 「人生夢が 如し」と言ってもまあそんなに深く考えて使っているわけではなくて、何とな く感覚的に そういうふうなことを考えたりすることはあるかもしれませんけれども、夢っ ていうこと の本質について考えるっていうことは、通常はなかなかないと思います。

しかしながら、後でまたゆっくりと展開していきますように、我々が今生きて いるところ の「世界」っていうものは、実はこれはまさしくその人にとってのね、「夢」 なんです。 なぜそれが「夢」だっていうふうに私が言うのかっていうと、それはどちらに しても、人 間というものは一人一人、必ずその人の、その人に応じた、その人の凸凹に応 じた世界観 というものを持っている。つまり、ありのままそのものの、ありのままの世界 ではない、 必ず何らか偏った、何らかその人の凸凹に応じた、それによって形成された世 界観という ものを持っているわけですから、ですからそれは「ありのままの世界ではない 」という意味において、それは「妄想」なわけなんですね。

まあ「妄想」と言うと、何らか少し、きつい言葉であるような感じがするかも しれませ ん。何かいわゆる幻覚的なこと、いわゆる統合失調症の人たちが見るとされて いる「幻 覚」、例えば自分は100人の敵に狙われているとか、目の前に他の人には見 えない何か があるとか、まあそういった程度のものを通常は、幻覚・幻想・妄想というふ うに思われ ていると思いますけれども、そのような狭い意味ではなくて、要するに本当の ありのまま でないような考えを持つこと一切を、広い意味で「妄想」というふうに呼ぶわ けなんです ね。

ありのままでない世界観。この妄想というものは、人類は100%の人が持っ ている もの、この歴史上、厳密な意味でこの妄想を持っていない人は誰もいらっしゃ らないわけ であって、誰しも何らか必ず持っています。まあ少し、妄想という言葉が強く 聞こえるか もしれませんけれども。つまり、その人なりの世界観というものはね、全てこ れは、どち らにしてもありのままそのものではない、あくまでもその人なりの捉え方に過 ぎないもの なんです。

まあごくごく簡単に申しますと、どのような人も必ず、凸凹がある。何らか非 常に敏感な 所と、鈍感な所がある。いろんな偏りが必ず心身にあるわけです。そうします と、いろん な物事っていうのは、必ず、それに応じて起こってくるわけですね。例えば、 Aさんとい う人にはこのようなことが起こってくる。また全然違う凸凹を持っているBさ んという人 がいるとしますと、このBさんにはBさんの凸凹に応じたようなことが起こっ てくるわけ ですね。で、Cさんがいると、全く同じようにね、CさんにはCさんの人の凸 凹に沿った ことが起こります。

続く

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