こんにちは。

前回から約二か月経ちました。今回は、小林秀雄のいくつかの文章を軸として、いろいろな形で考えていこうと思っております。また前回にちょっとできなかった唯識についても、絡めながら話をしていきたいと思います。そうですね、ではまた簡単で結構ですので、一言ずついただきながら、下を向いている方もいらっしゃるようですけれども、まあお天気の話でもいいですし、何でも結構ですので、そこから始めていきたいと思います。ではすみませんが、こちらの方からお願いします。

生徒さん

小林秀雄さんの「当麻」と「無常なること」を読んだんですけども、何を言われているかさっぱり分からないと言うか、分からなくって今日に至ってしまったんですけれども、今日先生の講義で、少し、ああそういうことなのかなと分かるようになって、また将来こういう講義を受けたことで、あああの時はこういうことだったのかと受けたことが実るようになるんじゃないかと思っております。

生徒さん

そうですね…私もよく読む度に考えが変わり、部分部分でですね、またいろいろ自分の人生を振り返って、こういう思いでこの人は見ているんだろうなといろいろな思いで、結論は出ないんですね。やはりどんなに受け取るかと言いますかね、花にしたって、花を見てどういう感覚でそれを感じるかという、私もその辺をですね、ただ表面を見るだけじゃなくして、人間にしたって過去と未来、現在未来、原因についていく魂のですね、この世の現実の流れと言いますか、いろんなものがありまして、この人は亡くなって今住んでいらっしゃるんだったらまあちょっと違った、分かりやすい見方をされるんじゃないのかなといろいろそういう思いで見ておりました。以上です。

生徒さん

私はやっとあの密教の本を、四苦八苦して読んで、やっともう終わりかけで、小出しで読まなきゃいけないという感じで読みました。この本を読んでいる時に、仕事から帰ってぼーっとテレビを見ていたら、ちょうど空海というか、NHKの人間講座で空海のことをやっていたんです。それがきっかけですごく空海に興味を持ちまして、ちょっとのめり込んでいるという感じです。

小林秀雄さんの方は、何かあの、簡潔な文章でものすごく読む度に何か、その文の違うところに惹かれていくというか、簡潔な言葉でものすごい奥深い問いを表しているなという感じで、言われていることと、この密教の本で言いたいこと、そしてホメオパシー、先生が何を語られているのか、それらはすべて何か簡潔なことを語られていると思うんですね。それがちょっと何か少しは感じ取れたなという感じです。今日は楽しみにしておりました。

生徒さん

先生、しばらくでした。私は、本当に不勉強で申し訳ございません。小林秀雄の本は、机の本棚にいっぱい並べて、読むっていうことはしてませんでした。何年前、三年ぐらい前でしたでしょうか、「致知」という月刊雑誌の中に、小林秀雄さんのお写真が出ていたんです。そのお写真を見た時にすごく打たれまして、こんなにきれいな方っていらっしゃるのかなと、小ちゃな写真でしたけれども、最近こんなにきれいな男性にお目にかかったことはないと思って、それから慌てて小林秀雄を読んだんですね。

それで、今度また「当麻」とか「無常ということ」読ませていただきまして、何か私、これは永松先生にお出会いしたことは、私にとってはものすごいことだったということ、私ながらの思いで読ましていただきました。今日の講演はもう本当に楽しみにしております。でも私に理解できるかどうかは、今のところは分かりませんけれども、そういう思いで出席させていただきました。よろしくお願いいたします。

生徒さん

こんにちは。今日は来る道すがらなんですが、以前、仏教の仏という字を日本語読みする時に、どうして仏というふうに音を当てたのかというふうな話をちょっとよそで聞いたことがあるんですけれども、それは解放する、ひもを「ほどく」という言葉、その「ほどく」ということから、仏という言葉がそういうふうな日本語に当てられたというお話をちょっと聞いたことがあり、そういうふうなことを思い出しながら参りました。

前回のお話で先生が「主語の同定」と「述語の同定」とおっしゃった時に、全く私は理解のスピードが遅いものですから、「述語の同定」という意味がほとんど分からなかったんですが、帰りまして先生の話をもう一度聞きまして、ああそういうことだったのかとようやく理解できました。またもう少しそのような話もお聞きできたらと思っています。よろしくお願いいたします。

生徒さん

皆さんとこうして3回こういう勉強をできることを大変喜んでおります。こうして連続の講義をしていただけるよう無理に永松先生にお願いしたのはですね、私には二つのテーマがありまして、まずひとつ目は、ここに現れている表象は本当に現実なのか、幻影なのか、ホメオパシーで言うdelusionなのか、ということ。それとふたつ目は、この人生というのは先生が言われていらっしゃるように、変えることが不可能と言っても過言じゃないぐらい決まっているのかどうかということ。その二点を、この6回のセミナーで少しでも自分の中で消化できて理解できたらいいなと思っております。

前回の唯識、随分期待して受けましたが、私たちの予習不足で本当に何か理解が難しかったなと思いました。私如きが言うのはあれですが、やっぱり私たちのこのレベルではもう少し先生の方にレベルを落としていただいて、スローペースで講義頂いたのがいいのかなというのも自分なりに実感しております。まあそれは皆さんなりにちょっと受け取り方の感覚が違うと思いますが、なかなか現実には考えられない世界のものである訳ですから、難しいというのは分かります。

できれば先生、そういう点ご考慮いただいて、6回シリーズの予定を全部こなさなくても、もっと私たちのように浅はかな者でも理解できるところでお話いただけたらどうかなというのも感じておりますので、皆さんにはそこ辺りちょっとお聞きになったりしていただいて、ご考慮いただければと思います。私たちの勉強不足を棚に上げて申し訳ない、とても僭越でございますがどうぞよろしくお願いいたします。

ええとそうですね、第1回目のお話は特に何かの教材ですとかを用いずに、ゼロからお話をいたしましてね、感じとしてはそれなりに皆さんご理解をいただけたような感じがいたします。

2回目はですね、あの後、かなり私自身としても、非常に皆さんに申し訳ない感じがいたしました。恐らく組み立て方にかなり無理があったような感じがいたします。もともとあの本自体、かなり長い本でもありますし、かなりの時間をかけてやるべきものを、短い時間の中で多少無理にしようとしましたので。

もともとこういうお話というのは、途中で省略できないことがたくさん出てまいりますので、やはりゆっくりと、かけるべき時間をちゃんとかけてやっていきたいと思っています。

今日の小林秀雄のお話につきましては、幸い文字数としてはとても少ないですよね。ただ、前回お話したかと思いますけれども、私自身もこれを50回ぐらい読んで、やっと一言一句が理解をできてきたように感じます。

最初、数回ぐらい読んだ時には、何を言っているのか、結局全然よく分からない。ずっと読むうちに、だんだんだんだん分かってきて…この方はどんどん文章を削っていく方だというお話は前回いたしましたですよね。1寓話につき1ページぐらいの濃度があります。だからこれは水に薄めると、ちょうどこの3ページ4ページぐらいのもので一冊の本が入りますと、そういうふうなものです。いろんな意味で、今日の授業というものは、前回とは相当に違うものになるであろうというふうに私は予想をし、また期待をしています。

それから今後の予定について少しお話をしておきます。次回は「部分と全体」になってますよね。この「部分と全体」の回でのお話も、全部というのはとても無理なことなので、この中のおそらくは二つぐらいのことに絞ってお話をすると思います。

一つは、量子物理学そのものについてなんですが、これは1回目の時に多少お話をしていると思うんです。それにつながったお話が一つ。

それからもう一つは、本来の科学というもの、そして本当の科学者というものの「存在の在り方」と申しますか、その魂の在り方と申しますか、まあそのようなことについてお話をしたいと思います。あちこちでいろんな所が出てくるんです。政治的な破局における「個人の行動」と「科学者の役割」の所も、非常になるほどと思わせる部分があります。また、ある種の究極の選択のようなもののお話も出てきます。それから、我々が生まれ育った「国」などといった、そういうある種の局所的なことと、それから人間であるという普遍的なこととの関係性。今はちょっと抽象的に申し上げましたけれども、非常に重要なことです。そういうお話をしたいと思います。

そしてその後は、ホメオパシーも結局は人間の本質的な成長についてのものであるというお話をすることになっております。「シッダールタ」という本については前回お話したでしょうか。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」、それは本当に薄い本です。こんな薄い本なんですけどね。これについて詳しくやるかどうかはまだ分かりませんけれども、これをぜひ読んでいただきたいんです。とてもすばらしい本です。そしてとても読みやすい本ですけれども。これをまずは読んでいただきたいと思います。

 

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