森羅万象セミナー

第3回 §4

「仮面を脱げ」。

ここで、ルッソー(ルソー)という人が出てきます。この人は、今から400年ぐらい前 の人だと思います。それ以前はいわゆる「中世」の時代で、その頃というのは、いわゆる 「暗黒時代」っていうふうによく言われている時代ですね。

なぜ「暗黒時代」なのかというと、例えば、ヨーロッパではキリスト教会の力っていうも のが非常に強大で、いわゆるキリスト教的な世界観というものをある種「押し付け」られ ていた時代だと言われます。そして、いわゆる人間性の解放というものがあまりなされて いない、抑圧的な、そういうものの中に人間というものがいる。人間というもの自体がち ゃんと解放されていない時代であった。まあ、一般的にはそういうふうなことを言われる 訳なんです。

そして、ここで「仮面を脱げ」と小林秀雄は言っている。

ルソーはいろんな「懺悔」をした訳ですけども、どういう懺悔なのかということなんです ね。少し簡単に要約してみます。

例えばある種の抑圧。例えば、「人間というものはこうあらねばならぬ」、「本来こうあ らねばならないし、こういうふうに行動せよ」というふうなことがありますね。それに対 して、そうじゃない、そういうふうなことから出発するんじゃない、とルソーは言うわけ です。

人間というものは、本来非常に弱い存在であって、その弱い自分というものを認めて、そ して私はこんなことをいたしました、私はこういう存在でございます、ということを認め なければならない。本来人間はこうだとか、こうあるべきだとかいうふうに言われている けれども、生身の人間というものはそんな強いものではなく、そんなすばらしいものでは なく、こんな弱々しい。そして生身というものを、生身の強さも弱さもそういったもの を、「ありのまま表現をしていった」…と言うふうにね、ルソー自身も思い、そしてそう いうふうに評価する人たちもたくさんいる訳なんです。そして、それを「解放」と呼んで いる訳ですね。「人間性の解放」。それまでのドグマ的な教会的な世界観の押しつけでは なくて、「人間性の解放」と呼んでいる。

しかし、果たしてそれは本当の解放なのか。確かに一つの解放ですよね。一つの解放であ ることは間違いない。そうなんだけども、その一つの解放というもの、いったいそれは何 を本当にしようとしたのか。その結果どのようなことが起きたのか。ここのところについ ては、あとからもう一度戻ってきてお話することにします。

それからもうひとつ、今の仮面の所で言うと「着物を着る以上お面もかぶった方がよ い」。これは非常に重要な所なんです。「着物を着る以上お面もかぶった方がよい」。こ こで「着物を着る以上」、というのは、どういうふうな意味を持っているのかということ なんです。この着物っていうのはね、アダムとイブの話です。アダムとイブは何をしたの かっていうことですね。これは、実はそのまま直接的に、この話の本質になる訳なんで す。

アダムとイブは何をしたのしょうか。まず神が、アダムを作り、そしてアダムのろっ骨か らイブを作った訳です。(その話をどう取るかは別としまして。)そして二人を楽園の中 に入れた。その時に神は何を言ったのか。「命の木の実だけを食べなさい。善悪を知る木 の実は決して食べてはいけない」と、そう言ったんです。神が許したのは「命の木の実」 です。これは食べてもいい。けれども、「善悪を知る木の実」は決して食べてはいけな い。ところが二人は、楽園にいた蛇にそそのかされて、それを食べた。その途端、アダム とイブはどうなったか。途端、二人は裸でいることに気が付いて、それを恥ずかしく思 い、葉っぱで前を隠した訳です。葉っぱで前を隠している二人を見て、神は二人が「善悪 を知る木の実」を食べたということを知る訳です。

この「命の木」という言葉と、「善悪を知る木」という言葉、この二つの言葉をよく見て みて下さい。

こちらは、「生命」という、一つの全体を表しています。「善悪」と言った時に、これは 「善」と「悪」に分けている訳ですね。分けています。分裂をしている訳です。ここで、 世界は分裂をしてしまったんです。本来一つであるべきものを、二つに分けてしまった。 善悪という尺度で分けてしまった。善悪という物差しで物事を見る。何らかの要素に分け て見る。本来「要素」というものは、この世に存在しない。もともとあらゆることは、全 てが連関してあっていて、何も分けられない。「一」であるべきものですね。しかしこれ を分けてしまう。

以前、般若の話をちょっとしました。あの時に、私は少し違うように言ったかも知れませ んが、般若の知というものは、この善悪のように、分裂した、分けて要素にしているよう な分別的な知ではなくて、全一的な知のことを指すわけなんです。

まあとにかく、それまでは何も分裂がなかった世界、全てが循環しあっていた世界で、と にかく何かを分けてしまう。分けて見てしまう。これは善悪だけのことではないんです。 あらゆることを分けてしまう。世界が二つに引き裂かれてしまった訳なんです。例えば、 自分と他人とか、意識と無意識とか、人間と何かとか、神と何かとか。あらゆることを分 けて考えてしまう。

そして、善悪を「知る」。「善悪の木」じゃないんです。「善悪を『知る』木」なんで す。「知性」ですね。知というものは、分けて考える方向の動きのことを言っている訳で すけれども。

この知というものにも無限の段階があります。最高の知というものは、本来分けていな い、この全一的な知なんですけれども。まあ全一的な知になると、本当の知になっていく 訳なんですが。

我々は、いろんな要素に分けて考えるしか、何かを認識することができなくなるような構 造の中に住んでいる。アダムとイブの寓話というものが、それを指し示している訳なんで す。

続く

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